2006年12月1日金曜日

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ココロでココロを飼い慣らす

 


えーと、熱出しました。久しぶりなので、ちょっとつらいです……。

あなたとわたしの二面性

さて、いきなり本題行きましょうか。他人のことを評して「裏表のある人」なんてことを言ったりすることがあるかと思いますが、裏表かどうかは別として、大概の大人は「二面性」を持っていると思うのです。少なくとも私は、明らかに二面性があると自覚しています。

ただ、ここで私が思う「二面性」は、ビリー・ミリガンのように複数の人格を併せ持つというような複雑なものではなく、「内面」と「外面」という、ごくごく当たり前の属性のことです。ですので、大人のほとんどが、ここで言う「二面性」を有していても、なんら不思議はないと思うのです。

二面性はいつ形成される?

さっきから「大人」「大人」と言っていますが、実際には小・中学生の頃から「二面性」を有しているケースのほうが多いと思います。私は、心理学などについてはまったくの素人なので、実のところは良くわかっていませんが(と逃げを打っておいて)、もしかすると自我が形成されたあと、ほどなく「二面性」が形成される、なんてことなのかも知れません。一種の児童心理学の領域かと思うのですが、少し勉強すると面白そうです(と言いながら勉強してないけど

女は秘密を着飾って美しくなる?

さてさて、「内面」と「外面」の話ですが、「内面」と「外面」のズレが大きくなればなるほど、そのズレが本人に「ストレス」となってのし掛かってくる、という仕組みがあるように感じています。人間は、もともと善良にできているというのが最近の私の持論な訳でして、そういう生理的な特性?があるが故に、人はつねに秘密を暴露したい欲求と戦っている、とも思うのです。少々話がズレましたが、「内面」と「外面」のズレも、とても大きな「秘密」な訳で、人は誰かにそれを暴露して、楽になりたいと思っている、と考えられます。

「内面」と「外面」の指すもの

「内面」と「外面」の定義をしないままに話を進めてしまっているので、読者の方には訳がわからなくなっているかも知れませんね。すいません。「内面」=自分の本質的な存在・意志、「外面」=自分の社会的な存在、と置き換えるのが、大体正しいかと思います。人によっては、「内面」と「外面」のズレがあまり大きくないこともありますが、人によっては、その真逆を行く場合もあり、もの凄いストレスを抱えてしまうこともあるでしょう。私は、どちらかと言えば後者だと自覚しています。

同病相憐れむ幸せ

私には、そういった自覚があるので、同じように二面性のギャップに苦しんでいる人をみかけると、同病相憐れむとばかりに嬉しくなってしまうところがあります(笑)。同じような悩みを抱えている人相手ならば、ギャップのせいで生じる苦しみを分かち合えると言うか、「秘密」を暴露して楽になれると言うか、そういうメリットがあるからです。

ただ、普通はそう都合良く、同じようなギャップを共有している人とは出会えないと思います。となると、ストレスの原因を減らすように努力するか、ストレスに打ち克つ「理性」を身につけるか、そういったことを考えないといけません。前者は比較的簡単で、「内面」のエッセンスを「外面」に波及させていけば、自ずとギャップは縮まります。つまりは、「地」の部分をおもむろに、すこしずつ外に出していく、ということです。確かに、勇気が必要な場合もあります。ただ、長い目で見れば、決して悪い話ではないと思うのです。

秘密の発露とわたくし

実際のところ、私が突発的にこの Blog を始めたのも、今から考えると、ストレスの原因を減らすための無意識な努力の一環であった、と言えるのかもしれません。思いの丈を全世界にぶちまけることで、たとえ、ほんのちょっぴりであったとしても、内と外のギャップを縮められるのではないか、というほのかな希望です。

この Blog のまとまりの無さは皆さん百も承知でらっしゃると思いますが、それも当然で、一切組み立てを考えていません。実際のところ、30 分近く前に書き始めた訳ですが、すでに期待した内容からややズレつつあります(笑)。たとえ本来の意図からズレようとも、The show must go on ! な訳で、それはそれで面白いのですが!

「内面」は改革可能か?

さて、本論に戻りますか。「内面」から「外面」に影響力を行使することができる、という話をしたと思いますが、それではその逆はどうか。これは、正直なところは私にもわかりませんが、なんとなく「できない」んじゃないか、と、ぼんやりと思っています。「三つ子の魂~」って格言もあるので、あながち間違ってはいないと思うのです。

そういえば、国語のテストで、「『あながち』を使った例文を作りなさい」という問題に対して、「『れんこん』はあながちです」と答えた、という都市伝説を聞いたことがあります。この手のネタは割とキライじゃないです(笑)。

セルフコントロール?

「外面」から「内面」に影響力を行使できないとなると、「外面」から「内面」を押さえつけるしか回避策は無くなります。一般的には、この力は「理性」と呼ばれるのだと思いますが、「理性」は自らのココロを鍛えて修養するしか無い、のかもしれません。心を鍛えることが難しいのは、皆さん百も承知のことだと思いますが、結局のところ、がむしゃらに生きるしか無いのかもしれません。

今、ひそかにうまいことを書いたのですが(笑)、「武士道」というのも、ココロを鍛える有効なメソッドかもしれません。刹那に生きると言うか、死ぬために生きる訳で、平たく言えば、死ぬまでにどれだけのものを残すことができるか、死ぬ気で挑めばいい、ということでしょう。ただ、これはストイックに生きることを推奨するものではないです(私は、むしろ忌避しています)。つーか、みんなストイック過ぎるんですよ。私の知り合いは(誰?

タコマ・ブリッジの崩壊を防げ!

ただ、一番いいのは、ただ「理性」を強大にするだけではなく、弾力性を持たせることではないか、とも思えてきました。「内面」(別の言い方をすれば「衝動」)をただ力ずくで押さえ続けていては疲れちゃいますので、理性的に「衝動」を発散させることが何よりも重要ではないかと。いわば、己の内面を「飼い慣らす」ことが求められると思うのです。

おお、なんか自分の思っていることがうまく一文にまとめられて、ちょいと嬉しい! 熱を出すのも悪い事じゃないかもね。

ちなみに、この「発散」という考え方、加藤寛一郎センセの著書『壊れた尾翼』から得た発想です。まさかセンセも、尾翼が吹っ飛ぶことはあっても、自著がこんな吹っ飛んだ発想に使われるとは思っていなかったでしょうが……。主題は 1985 年の日航機事故ですが、航空工学の基本を知るにはいい本だと思います。最近?文庫版も出ました。おすすめです。

ココロでココロを飼い慣らす

己の内面は、ペットのようなもので、適度にあやしてやることで飼い慣らすことができます。飼い慣らすためには、たっぷりを愛を注いでやることが一番でしょうか。自分の気持ちを愛することができれば、きっと自分の内面は、おとなしくなります。具体的にどうやればいいかは、ご自分の胸の内に聞いてみてはいかがでしょうか。

自分の胸の内に聞いてみても答えが出ないのであれば……。私に質問してくださっても構いませんが、それよりも、あなたが一番信頼している人に聞いてみましょう。きっと、妙案が見つかります。

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