2006年12月28日木曜日

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「八方美人な生き方」を考える

 


病院に行きました

暦の上では一昨日になるのですが、結局、病院に行ってきました。また、薬漬けの生活に逆戻りです(わはは

まぁ、毒にならない薬なんてものが滅多にないのは承知の上なので、できることなら薬の世話にはなりたくない、って気持ちはあるんですけどね。まぁ、この公開の場で薬屋さんのネガティブキャンペーンをやるつもりは更々ないですし、むしろ「また、お世話になります」って感じなんですけどね。やっぱり、発作的な咳が続くのは苦しいですし、我慢にも限界はありますし。

ぜんそくの治療薬として、「キュバール」という吸入ステロイドを処方してもらうのですが、これを吸入すると、そのうち、確かに息苦しさからすーっと解放された気分になるのですよ。まぁ、粉っぽいものを吸入するわけですから、たまーにむせる時もあるんですけど、薬を吸入せずに我慢しているときに比べたら、ちょっとむせる程度、かわいいもんです。

アレルギー性気管支ぜんそく」は私の持病のようなもの(というか、りっぱな持病か)なので、前にもキュバールを処方されたことがあるのですね。キュバールはスプレータイプなので、通常、めったに使い切ることは無くて、それなりに残ってしまうものなのです。仮に症状が治まったとしても、いつまた再発するかわからないので、実は、常日頃から持ち歩くようにしていました。それで、たまーにこそこそと吸引していたりしました。もちろん、上司や同僚にいちいち説明する由もありません。まぁ、あらぬ心配をかけたくもありませんし。

かかりつけの病院は、そこそこ大きな総合病院でして、院外処方を実施しています。ですので、診察中に処方箋を書いて貰って、その処方箋を持って、院外処方に対応してくれる薬局に行けば、薬を処方して貰えます。そういった薬局は、そこらじゅうにありますからね。

ああ、私は、つぶやきシローにも井上公造にも会ったことは無いです。

次は、いつものこのコーナーです。よろしくお願いします☆

前回の傾向と対策

それではお伝えします。

まず、「突然フレディ・マーキュリーが出てきて『ばーっせろぉーなー♪』とシャウト」ですが、これはクィーンのヴォーカリストだった Freddie Mercury が、スペインのオペラ歌手の Montserrat Caballe とデュエットした異色作 "Barcellona" のことを指しているものと思われます。確かにフレディが歌ってはいますが、The Queen の楽曲でない点がポイントがずれていますね。

次に、「三番街のバーゲン」ですが、これは関西人だったら誰でも知っている、梅田の阪急三番街のバーゲンのことです(そのまんま)。

以上、傾向と対策のコーナーでした♪

ありがとうございました。次はネタバレのコーナーです!

気になる結末(ネタバレ注意

気になる結末のコーナーです。今日は、「クイーンの色紙」の結末についてお伝えします。

翻訳家・益子田蟇(ますこだ・がま)が大切にしていた「エラリィ・クイーンの色紙」が消え失せる、という事件だったわけですが、結論から書いてしまいますと、犯人は益子田自身でした(但し、「三番館のバーテン」は、明言はしていません)。「あらすじ」には、「益子田」と「鮎川」しか出てきていないようなものなので、簡単だったと思いますが……。

バーテンが語った事の顛末は次の通りです。

益子田は、以前、鮎川にサインを書いて貰ったことがあったのですが、おっちょこちょいの鮎川は、色紙の表と裏を間違えてサインをしてしまいました。益子田はその色紙を大事に飾っていたのですが、急遽エラリィ・クイーンのサインを入手できる機会が訪れた際に、あいにく色紙の持ち合わせが無かったため、益子田は、やむなく裏に鮎川のサインが書いてある色紙をエラリィ・クイーンに差し出してしまいました。

益子田は、裏に鮎川のサインが書いてある「クイーンの色紙」を、額に入れて上段中央に飾っていたわけですが、自宅で行うパーティに鮎川が参加することを知り、あわてて表裏を入れ替えた上で、クイーンの色紙を飾っていた場所とは別の位置に飾ることとしました。なぜ益子田がそのようなことをしたかは、鮎川が、自分の色紙が飾られていないことに気づいてしまっては申し訳ないから、という配慮があったからです。あえて盗難を演出したのは、「もともとクイーンの色紙なんて無かった」と思われるのが心外だったからでしょうか。

当 Blog の著者は、次のように述べています。「こうやって、結末を聞いてしまうと『なぁんだ』と思われるかもしれません。ただ、これは『あらすじ』の書き方が稚拙だからであって、鮎川の手になる本文には、さまざまなミスディレクショントラップとともに、さりげなくヒントがちりばめられているのです。ことさら人の死を扱うことが多い『本格推理』の世界にあって、『人の優しさ』を事件にしてしまうあたりが、私がこの短編に強く惹かれるところでもあります。」

以上、気になる結末のコーナーでした☆

ありがとうございました。それでは、ようやく、今日の本題です。

「月亭八光」というのはいい芸名だと思うのです

いきなりですが、「八方美人な生き方」って、何でしょうか。どちらかと言えば、あまりいい意味で取られない場合が多いかな、と思うのですが、果たしてどうでしょうか。

ホモ・サピエンスとヒューマン・ビーイングの違い

人間は、人間である以前に「ヒト」なわけですから、ヒトとして、充実した人生を送るべきだと言えるのですが、ヒトとヒトがせめぎ合って(あるいは協調し合って)暮らさざるを得ないこの世の中にあっては、立派な「人間として生きる必要というか、義務というか、そういったものがあると思うのです。

キミたちがいて、ぁボクがいる

「自分」がいて、そして「他人」が存在するわけで、極論すれば、自分から見た他人は「敵」か「見方」か、どちらかに属すると考えられます。「人間」の数がある程度に増えると、必然的に「社会」というコミュニティが発生すると考えられるわけですが、「社会」というコミュニティの「知恵」として、通常、「共存共栄」といった発想(もう少し適切な用語があるような気がしますが)が生まれてきます。

上記の流れから、「『人間』は、『社会』にとけ込むためには、むやみやたらと『敵』を増やしてはならない。」という推論を導き出せるかな、などと考えています。

「八方美人な生き方」も、ちょっとは認めてあげてもいい?

さて、ようやく本筋に戻りますと、「社会の一員」として、「人間らしく」暮らすためには、「みんなとそれなりに仲良くしないといけない」と言えるのではないか、ということです。そういった意味で、「八方美人な生き方」というのは、立派な、意味のある処世術だと思うのです。もちろん、度が過ぎるのは良くありませんが

大事なのは、まず「自分」

そういうわけでして、誰からも好かれる生き方を目指すのも、決して悪いことではないと思います。ただ、自分にウソをついてまで八方美人に生きるのは、間違ってるのではないでしょうか。

あくまで「自分」は「自分」で、「社会」という枠組みの中にあっては、何よりも尊重されるべき存在です。要するに、反社会的で無ければ、とことん自己を主張してもいいと思うのですよ。確かに、ここ日本は「和を以て尊しとなす」お国柄ですから、欧米的な自己主張はなかなか受け入れられ難いのですが、主義主張を声高に行うだけが自己主張ではないと思うのですね。

大勢に流されることなく、「あなたはあなた、私は私」という風に、お互いの立脚するところを尊重しあえる、そういった人間関係を若いうちから築くことができれば、みんなハッピーになれると思うのですが……。

まとめ

私の理想は、ですが、「筋の通った八方美人的な生き方」をしてみたいです。まぁ、誰にも愛想をふりまくつもりは更々無いですけどね。そうそう、どうせ生きるんだったら、カッコいい生き方をしたいなぁ、ってのもあります。

今日は疲れているせいか、全然調子に乗れませんでした。テーマがちと重いせいもあるのですが、やはり、内容もイマイチですね……。すいません。

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