2006年12月31日日曜日

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年末特別企画 「日本人の『宿題』」

 


年末特別企画

この Blog も、10/29 に始めて以来、まがりなりにも毎日更新することができました(って、たった 2 ヶ月ですけどね)。来年もこの調子で行きたいと思ってますので、よろしくお願いします。

本日の BGM: "Tom Traubert's Blues" by Tom Waits

それでは、まずはいつものこのコーナーから。

前回の傾向と対策

それではお伝えします。

まず、冒頭の 4 択ですが、選択した回答によって、回答者は次のように類型化されます。

1. 養老孟司:貴方はかなりの壁フェチだと思われます。来年は、「バカの壁」以外にも「嘆きの壁」や「ぬりかべ」に興味を持つと良いでしょう。

2. 大槻義彦:そうですね。世の中なんでもプラズマのせいです。ソニーの電池が爆発するのも、官製談合が相次いだのも、きっとプラズマのせいですね。

3. 井沢元彦:「ここで、ひとつ面白い調査結果をお目にかけたい。わたしは、2001 年に刊行された女性週刊誌 150 冊と、2006 年に刊行された女性週刊誌 150 冊をそれぞれ一文一句調べてみたところ、実に意外な事実を発見した。まさに、論理の女神が私に微笑みかけたのだ。その事実とは、2001 年に刊行された女性週刊誌 150 冊には『ヨン様』『メタボリック』という単語がいっさい見られなかった点だ。これはすなわち、『ヨン様』も『メタボリック』も 2001 年には存在していなかったという明白な事実を示している。これをわたしは『言霊の論理』と名付ける。」

これは、「古田武彦」のパロディなんでしょうか……。おつかれさまでした。

4. 社会党:「ぇいらっしゃい! 社会党一名様ご案内!」「よろこんでぇ!!」

……。では、気を取り直して続けます。「La vie en rose」はエディット・ピアフのシャンソンの曲名で、日本では「バラ色の人生」と呼ばれています。ルイ・アームストロングもカバーしていました。「I get ideas」も、「When you’re smiling」も、「What a wonderful world」も、いずれもルイ・アームストロングの名曲ですね。

以上、傾向と対策のコーナーでした☆

ありがとうございました。次は、今日の本題です。

戦後、伏し目の 50 年

12/18 の記事でもさらっと触れましたが、今年(2006 年)は日本が国連国際連合)に加盟を果たしてから、伏し目、じゃなくて節目の 50 年にあたります。

いわゆる「戦後の日本」は、軍隊が暴走し、アジア・環太平洋各国に多大なる惨禍を与えてしまった過去を完全否定する形でレールが敷かれ、朝鮮特需を始めとするいくつかの幸運にも助けられ、目を見張る発展を遂げてきました。今日(こんにち)の日本があるのは、「プロジェクト X」に出演しては番組中で涙してきた、多くの無名の素人さんの功績が大きいことも忘れてはなりませんが、それはこの文脈上はどうでもいい話です(だったら書くな

講談師、見てきたようなウソをつき

さて、ここでお話ししておきたいのは「いくつかの幸運」ということでして、ついつい「朝鮮特需以外に何かあったっけ?」と考えてしまいがちなのですが、他にも見落としてはいけない点があることを、テレビで見ました

君は「遠藤みちろう」を知るか

まず、そもそも、敗戦時に分割占領を逃れたことを、幸運だと考えないといけません。日本の分割占領は実際に立案されたこともあったと言いますし、スターリンが北海道北東部の占領を申し入れたこともあったと聞きます。

そもそも中立条約を一方的に破棄して、参戦後たった 7 日で「戦勝国」となったソ連に対して、日本固有の領土を割譲するのは「あまりに虫がいい」話でもあるのですが、アメリカが第二次大戦後のパラダイムシフトを見越してスターリンを牽制する方向で事を進めてくれたことが、結果として北海道の分割占領という悲劇を避けることができたわけで、これはやはり「幸運だった」と考えるべきではないかと思うのです。

「リットン調査団」は今いずこ

いつになくマトモな文面が続きますが、1945 年秋以降と見られていたソ連の対日参戦が早まったのは、ヒロシマ・ナガサキへの原子爆弾投下の影響が大きいと言います。逆に言えば、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下が無ければ、旧満州に日本人居留民が取り残される悲劇も防げたのではないか、などといった想像もできなくは無いのですが、むしろ、ソ連の参戦が秋口になってしまったならば、居留民が逃避行の間に寒気にやられてしまう率が上がっただけのような気もします(ソ連の参戦が無い限り、旧満州の開拓民が大挙して内地に引き揚げるとは思えないからです)。

「赤いシリーズ」は全 10 作

さて、「いくつかの幸運」に話を戻しますと、幸運にも事実上、アメリカ一国の占領を受けることになった日本は、金日成の「朝鮮民主主義人民共和国」成立や、中国大陸においては国民党の蒋介石が敗北し、代わって「中華人民共和国」が成立するなど、アジアの赤化傾向が明白になる中、「反共の橋頭堡」としての役割を期待されるようになります。

アメリカにとっても、極東におけるパワーバランスを考慮すると、日本を早期に独立させ、まさに「反共の橋頭堡」として機能させることが得策であると判断され、その結果、戦後わずか 8 年で、きわめて寛大な対日講和が成立することとなります。当時の日本は西側諸国との「単独講和」を受け入れるべきか、それとも東側諸国とも「全面講和」すべきかで激論が戦わされたと聞きますが、結論から言えば、時の宰相「吉田 茂」の強力なリーダーシップの元、日本は「単独講和」に向けて邁進することとなります。

今年で沖縄返還 34 周年(やや中途半端

今の日本(特に沖縄)に「米軍基地」が多数存在することは、皆さんご存じのことだと思います。在日米軍の駐留経費のうち、一部を「思いやり予算」として日本側が負担していることも有名な事実ですが、「日本における米軍の自由な展開」は、「異常に寛大な対日講和の対価」であるという見方もできるのではないかと思います。

円広志の「夢想花」がヒットしたのは 1978 年

また、もともとドル=円のレートは固定で、1 ドル= 360 円という固定レート(「円は 360 度だから 360 円」という俗説はホントなのでしょうか?)だったわけですが、1985 年の「プラザ合意」の結果、1985 年当時 1 ドル=235 円前後だったものが、翌年には 1 ドル= 120 円前後になるという事態を招きました(まぁ、これは「プラザ合意」によって演出された円高だったわけですが)。

円はその後も上がり続け、一時は 1 ドル 100 円を切った時代もありましたね。これだけ円が上がり続けたのは、日米の貿易不均衡を是正するという大義名分があったわけですが、日本の産業がここまでの海外競争力を持つことができたのは、「護送船団方式」に代表される、国による手厚い産業の保護があったからで、また、そういった方式を「日本の繁栄は極東の安定に寄与する」と判断してアメリカが黙認していたことも大きかったと思われるのです。ですから、日本が十分に発展し、また、東西冷戦構造の消滅により極東のリスクが(一時的なものだったかも知れないが)軽減されたタイミングで、「規制緩和」を求めてきたのは、アメリカの論理から見れば極めて当たり前のことだと言えるのでしょう。

「戦後の日本」の成功は、戦争を否定し、経済活動に邁進したことで得られたものだ、と考える人が、今でも少なからずいるのではないかと思います。ただ、実際には、ここで述べたような「地政学的な幸運」のもと、「東西冷戦構造」の恩恵に与っていたと見るのが自然ではないでしょうか。

日本人の「宿題」

最近は、安直な「日本再軍備論」を耳にすることも少しずつ増えてきた気がしますが、イラクでの「大義なき戦争」による反動からか、これまた安直な「日米同盟見直し論」や「米軍排斥論」を耳にすることも多く感じます。「憲法九条問題」は、21世紀の日本人に託された大きな「宿題」だと思うのですが、多くの国民が近視眼的思考に踊らされることなく、グローバルかつリアリスティックな視点で考えてもらいたいものですね。

あすは「視点・論点」をお送りします

明日には新年を迎えますが、「日本を国連常任理事国にする秘策」について皆さんにお伝えしようと思います。それでは、良いお年を!

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