2007年1月3日水曜日

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Bojan と言えば Krizaj でしょ、ふつーは

 


えーと、まずは某嬢への私信から(見てるかどうか微妙ですが)。今年も年賀状ありがとうございます! なるほど、La LunaHarem ですか。どちらも比較的新しい作品ですが、とっつきやすい La Luna と比べて、Harem には、最初ちょっとどぎまぎした記憶があります。ただ、どっちも負けず劣らずの名作かな、などと思います。

Harem では、邪道かもしれませんが、「ダッタン人の踊り」こと Stranger In Paradise が好きだったりします。ほかにもいい曲揃いなんですが、全体に流れるように進んでしまうので、「この曲が!」ってのが指摘しづらい印象も……。The War Is Over も気になる名曲ですね。The Journey Home も……(書き始めるとキリがない

Sarabande については……。当時、この曲を CD で聞くためには、CCCD だった日本版を買う必要があり、泣く泣く日本版を買ってしまった思い出があります(コピーコントロール CD って、色々と良からぬ噂があったので避けてたんですよね)。当時、今は亡き「ニュースステーション」のオープニングに使われたおかげで、「『サラ・ブライトマンって誰それ?」と聞かれることはめっきり少なくなったのですが、ここまでメジャーになっちゃったのはかなり計算外でした(笑)。

じゃ、今日もぽちっと行きますか(誰だよ

前回の傾向と対策

それではお伝えします。

旧ソ連から現在のロシアに綿々と息づく、「『ハゲフサフサの法則」について、驚きの新情報です。

皆さんは、ウラジーミル・ジリノフスキーという人物をご記憶でしょうか。「ロシア自由民主党」という、どこかの国の政権与党そっくりの名前の政党の党首(←「が多すぎ)として知られるバリバリの右翼のおじさんで、過激な言動でも知られていました。ロシア自由民主党は、一時は下院選挙で第一党となるなどして、エリツィンから政権を奪い取ってしまうのではないかとすら憶測されましたが(かの「古畑任三郎も話題にしていましたね)、結局、ジリノフスキーはその後支持を失い、ジリ貧に転落してしまいます。

通説では、ジリノフスキーの過激な言動や奇矯な行動が、徐々に支持者から見放されるきっかけになったとされていますが、「ジリノフスキーの頭髪が比較的豊かだった」ことが、エリツィンの後継者としては不適格である、とされたのではないかとの新説が唱えられ、反響を呼んでいます(ほんとかよ

以上、傾向と対策のコーナーでした☆

ありがとうございました。次は、今日の本題です。

はぴば! Bojan !

お正月モードということで、今日も手抜きで参りましょう。今日 1/3 は、旧ユーゴスラヴィアの国民的アルペンスキーヤーだった(のか?)Bojan Krizaj さんの、記念すべき 50 回目のバースディです!

そう、この Bojan という名前は彼から頂戴した…… という訳でも無いのですが、少なからぬ影響を受けたことは事実でして、そういった意味ではちゃんとお祝いすべき人ではあるのですが、今日誕生日だったことについさっき気づきました。ラッキーでした(笑)

こんな名前を名乗っていたからか、いきなりスロヴェニヤ語でメールが来たことがありました。あの時はさすがに焦りましたね……。たまたま、知り合いの知り合いにスロヴェニヤ語を解する人がいたので、事なきを得たのですが……。なんでも「よっ! てめーは日本くんだりで何をやってんだ?」といった意味だったとか。

Bojan と言えば Krizaj でしょ、ふつーは

Bojan Krizaj(カナ表記では「ボーヤン・クリジャイ」となることが多いですね)は、旧ユーゴスラヴィア(現スロヴェニヤ)の Kranj(現地読みでは「クラニ」ですが、「クランジ」と英語読みされることも多い)出身のスラローマーで、ワールドカップでは 1980 年から 1987 年にかけて計 8 勝をあげた、名スキーヤーでした。

Kranjska Goraクラニスカ・ゴラ)というスキー場がありますよね。Kranj はその麓の街だったかと(未確認)

1988 年にオーストリアのザールバッハで行われたレースにて、フィニッシュエリアの直前でスキーを外し、歩いてゴールインする(リザルト上は失格となる)というパフォーマンスとともに引退…… ということで、これは、後に、ノルウェーの偉大なスラローマーの一人だったフィン=クリスチャン・ヤーゲが、自身の引退レースで真似をすることになります。

もっとも、ヤーゲの場合は、ワンピースの代わりに燕尾服でレースをするという、前代未聞(ですよね?)のおまけもついていましたが(笑)。そんなヤーゲのお茶目な引退レースでしたが、不覚にもうるうる来た記憶があります。

「ヒゲのおじさん」の大失態

企画もの」の引退レースとしては、スイスが生んだ偉大な大回転スペシャリストだったミヒャエル・フォン=グルニーゲンの引退レースで、「年代物」のスキーを履いて出てきた、というのもありましたね。今のスキーは、皆さんもご存じの通り、金属製の鋭いエッジに守られていて、雪を切ってターンするのが当たり前なのですが、フォン=グルニーゲンが履いてきたスキーは、大昔のスキー板ですから、エッジらしきものが皆無に等しく、さすがのグルニーゲンも相当苦労していた記憶があります。ただ、苦戦しながらでもきちんと滑り終えたのは、さすがフォン=グルニーゲン!と誰もが思ったのですが……。

フォン=グルニーゲンの大失態はその翌年、スイスのテレビ局の仕事で「カメラ前走」をやった時でした。「カメラ前走」とは、レースの直前に、テレビカメラを持って映像を収録しながらコースを降りてくる(場合によっては解説も行いながら)という仕事なのですが、このフォン=グルニーゲン、あろうことかターンの途中でカメラを落としてしまい、そのままゴールまで滑り降りるという前代未聞の?椿事をやらかしてしまいました(笑)。

もともと生真面目な性格に見えるグルニーゲン。ゴール直後は相当落ち込んでいた様子でした(笑)。幸い、テレビ界からはこの一件で干されることもなく、翌年には無事カメラを落とさずに完走していたので良かったのですが(笑)。

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