2007年1月4日木曜日

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のぼせやすい「日本人」

 


頂いた年賀状を見ていて、ふと思ったことがあったので、つらつらと書いてみます。割と真剣なので、ほとんど笑うところはありませんが、ご容赦を。

2007 年となりました(何を今更

さて(←いきなりさて」から来たか)、数日前に 2007 年という新しい年を迎えたわけですが、今年は干支で言うと「亥年」、つまり「いのしし年」に当たりますね。猪(いのしし)と言えば「猪突猛進」という言葉がすぐ頭に浮かぶのですが、その割には十二支の序列(なのか?)では最下位なのが、何とも不思議なところです。まぁ、のっけから「牛は歩みが遅いので、早く着くように早めに出た」なんて帳尻合わせをしていたりするので、「順序がどうの」という話は、後付けの後付けなんでしょうけどね、きっと。

猪突冒進?

で、この「猪突猛進」という言葉なんですが、個人的にはどうも好きになれない言葉なんですね。「猛進」という言葉は、一歩間違えると「冒進」になっちゃうわけでして……。ちなみにこの「冒進」という言葉、ATOK では出てこないので、「あれれぇ~、おっかしぃ~ぞぉ~」と思って調べてみたところ、どうやら辞書にも載ってないようですね。どうやら、鉄道業界特有の用語で、信号を無視して突っ走ること、という意味のようで。

「その手の本」とわたくし

正月から縁起の悪い話で気がひけますが(←だったらやめとけっての)、確か小学 5 年生の時に「大韓航空機撃墜事件」(「金賢姫」の事件とは別ですよ)があり、中学 1 年生の時には阪神タイガースの優勝…… ではなくて「日航ジャンボ機墜落」(いわゆる「御巣鷹山」の事故ですね。にしても「御巣鷹山」が変換されないってどゆこと?)が、また、その翌年には「チェルノブイリ原発の大事故」が発生し、ちょうどその頃「多感な時期」を過ごしていた(←わはははは)私は、「父の本棚」からその手の本の払い下げを受けては読みふけったものでした。

その手の本」には、事故に至るまでの経緯が、事実推論を交えながら極めて論理的に記されていたわけでして、「下手な推理小説よりも百倍は面白い!」とばかりに、多感な(←しつこい)Bojan 少年は貪り読んだわけです。やがて、少年は「事故の本質的な原因」に興味を抱くようになり、様々な「事故」や「大失敗」について、先人の著作を読みあさることになります。

惜しいことに、この時点では、この「趣味」を学術的に生かす可能性に思い至らなかったわけなんですね。今でもどんな学問になるのかは、良くわかっていませんが。

「日本人の失敗」

結局、「日本人の失敗」を辿っていくと、近代最大の失敗であろう「太平洋戦争」に辿り着くわけでして、その辺に関連する文庫新書を読みあさって現在に至る、となります。Bojan の本棚に「その手の本」が大量にあるのは、こういった訳からです(長すぎ

「猪突猛進」がキライな理由

ああ、「で、なんでテメーは『猪突猛進』がキライなんだ?」ってことですか。そういえばそんな話をしていましたね(笑)。えーと、今だから言えることですが、旧・大日本帝国の「帝国軍人」の皆様が、猪突猛進して太平洋戦争に突っ走っていったからですね。ただ、そもそもの問題は「猪突猛進」もさることながら、当事者が「猪突猛進」していたことに気づいていなかった、というところにあるように思うのですよ。

十年ほど前には、「オウム真理教」の信者がマインドコントロールされていてどうの、なんて話もあったと思いますが、当時の日本国民(いや、「天皇の赤子(せきし)」か)は、下手をすれば一億皆陶酔状態にあったんじゃないか、なんて思えてくるのですね。欧米人から見れば、立派なカルト集団に認定できる状態だったんじゃないかと。

のぼせやすい「日本人」

日本人は、主要都市の大半を丸焼けにされながら、戦後の十数年で奇跡的な復興を遂げたわけなんですが、その陰には無数の、ひたむきに、がむしゃらに頑張った人たちがいたと思うのですね。もちろん、そういった方々の頑張りは顕彰されて然るべきなんですが、一方で Karoushi という言葉にも代表されるような、働き蜂状態を強いられた、ということもあったと思うのです。何よりも問題なのが、我々日本人自体が「ワーカホリック」的になっている自覚が希薄だ、ということなんですね。

民族的に、「過去に対する執着心」が比較的希薄で、また「のぼせやすい」資質であるということは、明治時代から(おそらく、それ以前からずーっと綿々と)変わっていない筈なので、まずはそういった自分の資質をきちんと自覚するところから始めないといけないと思うのです。

やれ「共通の歴史認識がどうの」とか言った話においては、彼らの致命的な誤謬は徹底的に正さないといけないとも思いますが、「一時的な流行」に踊らされて妙な民族意識の高揚に走ることだけは、避けないといけませんね。

だから、私はかくありたい

だから(?)、少なくとも私自身は、どんな事を起こす時でも、客観的に己を顧みた後で、じっくりと行きたい、というですね、何と言うのかなぁ。「願い」でも無いですし「誓い」でも無いですし、とにかくそんな風に行きたい、いや、生きたいと考えているのですよ。もちろん、「一気呵成」とか「電光石火」とか、「臨機応変」といった心がけも忘れてはいませんけどね。機を見るに敏でいて、ただ、足許は常に盤石でありたい、そんなところですね。

そういうわけで、「猪突猛進」ではなく、「猪突漸進」で行きたいところですね。

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