2007年2月7日水曜日

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「涙は心の汗だ!」というのは意外と正しかったりして

 


お待たせしました!

えーと、更新が遅くなってしまってすいませんでした。まぁ、その、いろいろあってですね……(謎)。

「涙は心の汗だ!」というのは意外と正しかったりして

さて、今日は、「」について考えてみようと思います。まずはいつも通り Wikipedia の記事をチェックするわけですが、ふむふむ、なるほど……。涙には、「目の表面への栄養補給」「まぶたを円滑に動かす潤滑材」「細菌・紫外線から目を守る防御壁」としての役割があるわけですか。もともとの役割は、そういうことですね。でも、私が知りたいのはそんなことじゃありません(こら

もう少し読んで行きましょうか。えーと……。生化学者のウィリアム・フレイ二世というおじさんが面白いことを考えたみたいですね。曰く、「涙は感情的緊張によって生じた化学物質を体外へ除去する役割があるのだろう」と。ウソかホントかはわからないですが、なかなか面白い仮説です。要は、感情の発露によって惹起された涙と、タマネギをむいた時に出てきた涙のそれぞれの成分を分析して、有意な違いがあるかを確認する、というものらしいのですが、感情の発露によって生じた涙のほうが、より高濃度のタンパク質を含んでいたらしいですね。まぁ、「だからどうした?」というツッコミどころが満載ではあるのですが(笑)。

例えば、「映画」と「タマネギ」だけのサンプリングでは不十分だと思うのですよ。他にも「花粉症」とか、「中国・黄河上流域原産の砂埃」とか、「全身くすぐりの刑」とか、より幅広いサンプリングを行う必要があるのでは、と思うのです(←ほんのちょっぴりバカ

前回の傾向と対策

それではお伝えします。

まず、題名の「恋するハニカム」ですが、似たような題名のテレビ番組とは一切関係ありません。なんか tbs.co.jp からアクセスがあったようで、とってもいやーんな気分になっちゃいました……。

ちなみに、この「ハニカム」という言葉ですが、和訳すると「蜂の巣」という意味になります。蜂の巣といえば六角形のセルが無数に存在する形状ですが、もっとも無駄なく強度を得られる構造だとして、強度と軽量化の両立が求められる様々なシーンで用いられています。

「黒旗見てない@エストリル」は、1989 年の F1 ポルトガル GP で、Ferrari を駆るナイジェル・マンセルが、ピットストップの際にオーバーランし、レース中に使用することを禁止されているリバースギアを用いて、所定の位置に後退で戻ったことがありました。これは当然、失格とされる行為のため、競技委員長はマンセルに対して「黒旗」(レースを中止し、ピットに戻れという指示)を提示しましたが、マンセルは数周にわたってそれを無視。あろう事かマクラーレン・ホンダ(当時)でアラン・プロストとチャンピオン争いを繰り広げていたアイルトン・セナに接触し、セナをリタイアに追い込むという「事件」を起こしてしまいます。

アラン・プロストは、翌シーズンのフェラーリ加入が決まっていたこともあり、マンセルは「意図的にセナと接触した」との嫌疑がかけられましたが、マンセルは一貫してこれを否定。「逆光で黒旗は見えなかった」と主張したのでした。

以上、傾向と対策のコーナーでした☆

最近の心理学とわたくし

さて、大学では「計量地理学」なる学問を嗜んでいた(結局モノにできなかったけれど)Bojan さんですが、先日、電池の交換が済んだ TISSOT を引き取りに行ったついでに本屋によって、フロイトの入門書をゲットしてきました(脈略なし)。時間をかけて、寝床でだらだらと読んでいるのですが、なかなか面白いですね。まだ十数ページしか読んでませんが、数回ほど膝を叩きそうになる記述がありました。寝っ転がりながらなので、なかなか膝を叩くのは大変なんですが(そういうことを言うか

すっきりしたのが何故だかわからずもやもやする

ぼんやりと思っていることを文章にするのはなかなか難しいのですが(それはきっと、頭が良くないからですね)、無理矢理にでも書いていきますと、「感極まったときの涙」には、カタルシスに非常に似た作用があるように思うのです。この Blog をご覧下さっている皆様の中にも、「泣いてみてすっきりした」という経験をお持ちの方が少なからずいらっしゃるかと思うのですが、良く考えてみると、なんですっきりするのか、今ひとつ理解できないところがあるように感じられます。

そもそも、「感情の発露」という言葉の定義自体、微妙ですね。より具体的に言えば、「悲しみ」「恐怖」「絶望」といったあたりが思いつくのですが、どれも底が浅いですね。なんか、心のもっと奥底にある複雑なものが、こらえきれずに外に出てきてしまった、といったニュアンスがより正しいかな、と思います。自分の筆力の無さを詛うばかりですね……。

「落涙カタルシス」の真実

で、昨日ふと思ったのですが、「泣く」という行為によって、カタルシス的な心の平安が得られる、という考え方は果たして正しいのでしょうか。「泣いてみてすっきりした」という一文を体現するならばこうなるのですが、なんか違和感を感じるのです。むしろ、前述の「心のもっと奥底にあった複雑なもの」を、理性による抑圧から解放させる(解放させられる)という行為の代償として、心の平安が得られるのではないか、などと考えてみたのです。

「てめーは早速フロイトに毒されてるんじゃねーの?」という指摘があれば甘受したいところですが、あいにく、まだ十数ページしか読んでませんので、多分違うかと。

デトックスやってみたい(え?

ちなみに「カタルシス」という言葉は元来ギリシャ語で、「浄化」といった意味があるらしいのですが、「涙」は、「心のデトックス」とでも言えるのでしょうか。

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