2007年3月7日水曜日

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"Vivo Per Lei" か "Io Vivo Per Lei" か

 


水曜日です (だからどうした

さてと……。今日は水曜日。ごく一部の方のみご好評を頂いている(ほんとかよ)、千々に揺れ動く人の心をダイナミックかつドラスティックに(意味不明だよ)騙る^H^H語る、「ココロの話」シリーズです。

当 Blog をご覧下さっている方で、私よりも年長の方や、同年代であってもよりディープな人生を送っておいでの方からご覧になると、「なーに、若造がなんかわかったようなコトを書いていやがる」となるのかと思いますが、どうか生暖かい目で見守ってくだされば幸いです。まぁ、「後進への指導」の一環ということで……(へ?

なぜか音楽の話題を

Andrea Bocelli の "Romanza" というアルバムの 8 曲目に、"Vivo Per Lei" という題名の曲があります。厳密には、ボチェッリと、イタリア人女性シンガーの Giorgia (Giorgia Todrani) とのデュエット曲です。間違えても「グルジア」とのデュエット曲ではありません。もちろんシェワルナゼ元大統領の出番などあるはずがありません。

こんなことを書くから、また「シェワルナゼ」でヒットした人を失望に陥れるんだな……。

貴方のために生き…… てみるのもいいかも (ぇ

さて、この "Vivo Per Lei" という題名。いきなり和訳すると「貴方のために生きる」とでもなるのかと思います。"Lei" は一般的には「彼女」と訳されますが、転じて「大事な人」を指す場合もありそうな雰囲気がそこはかとなく感じられますので、今回は「貴方」と訳してみました。こんな適当なことをしていると、イタリア語に詳しい某嬢にお叱りを受けること必至なのですが、もうどうでもいいです(こら

ちなみに、英語にすると "I Live For You" となる筈なのですが、何とも質感に欠けた文になってしまいますね。フランス語における "tu" と "vous" の違いは、英語ではどう吸収すべきなのでしょうか。もっとも、「貴方」という日本語と "tu" というフランス語も、相当ニュアンスは異なるわけですが……。orz

武士道では、生と死は表裏一体とされますが

さて(またかよ)、この「貴方のために生きる」という考え方、なんかカッコいいですよね。激烈な無限の愛」を感じるというか、何と言うか……(何だよ)。

見方によっては、「他人のために生きる」、つまり、一種の自己犠牲的な生き方、とも取ることができるわけで、日本人的な俗な表現をすれば、「貴女のために僕は犠牲になる」なんて風にも言えるような気がするのです(男女差別とか、そういう意味は無いので念のため)。

ただ、こうしてボチェッリジョルジアの歌声を聞いていると、どうもこの「東洋的な死生観」は、彼らの歌には相容れないように思えます(ま、二人ともイタリア人なんですから、当たり前ですけどね(笑))。

「言語と文化」論(には程遠い

イタリア語の面白い特徴?として、簡単に一人称を省略できる、というものがあるのですが、この曲名もその好例で "Io" (わたし)が省略されています。ただ、歌詞自体には "Io Vivo Per Lei" と、あからさまに「わたし」が出てきているのですね。こうなると、「貴方のために生きる」と言うよりは、「私は生きる、貴方のために」とすら思えてきます。これが、「東洋的な死生観」と相容れない理由なんだな、と。

オレが、オレが」という生き方が、好感を持って受け止められないという土壌が日本には存在するわけですが、こと「生きる」ということにおいては、もっと自分の生き方を尊重できる(尊重される)社会であるべきなんじゃないかな、などと有りもしないことを考えてしまいました。もちろん、ヒトであると同時に「人間」でもあるのですから、「他者への配慮」が欠けていてはどうしようも無いのですけどね。

うーん、でも、この考え方って、古き良き日本の文化と、どうやって融合すればいいのか、なんて難問も出てきますね。どうしたものでしょう。とりあえず今日はこの辺で筆を置きましょうか(ぇ

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