2007年5月22日火曜日

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「新世界の神」は、高校生の中にいるのかも

 


またお江戸と名古屋だがね

すっかり「書くこと」が目的と化している当 Weblog 2.0。ほんとマンネリ瓢箪状態で申し訳ありません(豊臣秀吉に失礼

まぁ、マンネリなのは日々の行動が……ということでして、今日なんかも凄かったですからね。都内某所で 2hMtg を行うためだけに上京して、そのまま名古屋までつばめ返しですから。あ、いや、「のぞみ返し」か。

しかも、その Mtg はとんとん拍子に話が進み、結局 1h で終了してしまう手際の良さ(笑)。13 時過ぎに品川について、15:40 頃には東京駅の新幹線乗り場で切符を買っていたわけですから……。以前に、「札幌滞在 3.5 時間」という夢のような企画もありましたが(しかもその後、一度も北海道に足を踏み入れていないという)、それに匹敵するナイスなスケジュールだったのでした。

ヒマだったので、読書してました

で、慢性的な睡眠不足を新幹線の車中で補うという、所与の目的を完全に達成したわたくし。品川を通過したタイミングで眠りに落ち、小田原の手前の鴨宮あたりで痰を喉に詰まらせて飛び起きた後は(情けねー寝起きだな)、眠気に襲われることも無くなってしまったため、先日来読書中だった「ウェブ進化論」をカバンから取り出し、結局読了してしまいました。

そもそもの目的は、ぼんやりと理解しているようでいて、ぼんやりとしか理解できていない「Web 2.0」というコンセプトについての知見を得ることだったのですが、残念ながら、まだ、そこまでの悟りを開くには至っていないかな、といったところです。

で、読み終えた感想ですが

まぁ、その「ぼんやりとした認識」を補強する見解が大半を占めていた感じなので、「おおよそは、自分の認識で合ってるんだろうな」とは思えるのですが、ハレの場祝祭の場としての Web 2.0なんだその文化人類学的な分類)という切り口での描写は、当然のことながら控えめだったこともあり、やや、もやもやとした迷いが残った、とでも言えるのでしょうか(← 自分で言ってる意味わかってるのかよコイツ

そうですね。面白い知見だと思えたのは、いわゆる「Web サービス」を Web 2.0 に必須のフレームワークと捉えたところでしょうか。純粋に技術的なことを言えば、Web サービスの API を公開したところで、Web 2.0 とは程遠い筈なのですが、公開された API を介して入手可能な情報量が尋常ではないところに、2.0 的な革命性がある、ということになるのでしょう。

Web 0.9

また、「Blog」の可能性についての言及も、正鵠を射ていると思えました。私は Web 0.9 あたりからのインターネットユーザーですが(それってネスケのバージョンのことじゃ?)、当時は、「Web サイトを立ち上げる」=「すごいこと」という時代でした(当時っていつ?)。

例えば、私がネットを始めたころには、ロータスがようやく日本語の Web ページを公開し、マイクロソフトに至っては英語版のページしかなかったような時代でした。その頃、「Web サイト」つまり「Web サーバー」(← この考え方が前世紀の遺物)を持ち、ワールドワイドに情報を発信するというのは、まさに特権階級だったのです。

Blog によるコンテンツのコモディティ化(は?

ところが……。今では、意見(オピニオン)を世界に発信するために、Web サイトすら必要ないわけなんですね。そして、日本では一千万もの人が Blogger として、日々、コンテンツをばらまきまくっている訳です。中には立派なコミュニティを形成しているケースもあるでしょうし、うちのように、何かの間違いで来てしまった「一見さん」を対象に害毒を流しているケースもあるわけです。

なによりも重要なことは、Google という巨大な世界規模のデータベースに、日々 Blog が蓄積されているということですね。ブログの世界が「玉石混淆」であることは誰もが認めることですが、1% か、0.1% かの「玉」を選別することができたならば、それは「人類の財産」ともなり得るわけです。

ある意味、「インターネットの混沌の中に秩序を見いだす」ことが Google の目指すところだとも思えるのですが、その実体が「ラビ」をも思い起こさせる「天才集団」というところに、やや「漠然とした不安」を覚えることも事実ですが、ま、世の中そういうものだと達観すべきなのかもしれません。

「新世界の神」は、高校生の中にいるのかも

そうそう。ビル・ゲイツ(マイクロソフト)と、ラリー・ペイジ、およびセルゲイ・ブリン(ともに Google)の年齢差が 18 歳という点が、何とも興味深かったです。生年差が 18 もあれば、思想の土台となるものが全く違うので、ひいては思いも及ばなかったような発想を導き出すことができる(可能性がある)という認識は、妙に得心が行ってしまいました。

ラリー・ペイジやセルゲイ・ブリンの 18 歳年下は、日本では平成生まれの高校生になるわけで、彼ら/彼女たちの世界観に触れておくことが、なんだかとっても重要なことに思えてきました。

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