2007年6月6日水曜日

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特別寄稿:GNH (Gross National Happiness) 先進国への道

 


民意が反映されてこその民主主義、で合ってます?

日本の Blogger 人口が一千万人を超えたという噂を耳にしました。改めて思うのですが、ここまでの数の母集団があれば、統計学に詳しい大阪産業大学井出満センセにお伺いを立てるまでもなく、かなりいろんな内容において、統計学上有意な結果を導き出すことができると考えられます。

もちろん、「Blogger の総意」は「日本国民の総意」と等価である、と考えることはできません。改めて言うまでもありませんが、無作為にサンプリングした 1000 万人の国民と、日本国内の Blogger 1000 万人では、あきらかに年齢構成に違いが見て取れるからです。具体的には、母集団中に「お年寄り」が占める割合に違いがあるはずです。

ネットがユビキタスな世代(ってなに?

逆に言えば、「ケータイ」もしくは「ブロードバンド」を当たり前のように使っている世代、より具体的に言えば「学生」の年代のサンプルとしては、Blogger の集合が「その世代全般」の母集団たり得ることは、統計学に詳しい青山学院大学美添泰人センセにもご納得いただけるのではないか、なんてことを考えてみたりもします。

また、この世代は、Blog を極めてパーソナルな内容、つまり、「日記」として考えている傾向が垣間見られます。また、Blog という World Wide な仕組みを利用していながら、実際には非常にクローズドな空間として捉えているフシがあり、結果として、著者本人の心情が図らずも吐露されるケースも少なくなく、「ホンネ」と「タテマエ」の乖離が激しい国民性を考慮すると、極めて「ホンネ」に近いオピニオンが集積されているという点でも、研究に値する素材であることは疑いありません。

貧乏人は水を飲め(?

さて、筆者(誰だよ)が様々な個人の Blog を見て感じることはと言いますと、もはや使い古された言葉になってしまいますが、「なんとか還元水」じゃなくって……、アレ?(ぉぃ)。ああそうだ。厳然たる「格差社会」の存在を実感せずにはおれません。

もっとも、この「なんとか」じゃなくて(しつこい)「格差社会」という言葉、あたかも、つい最近まで日本には「平等社会」が存在していたかのような幻想を抱かせるわけですが、その答は「」でもあり、かつ「」でもあるという、極めて煮え切らないものです(だからどうした)。ただ、仮に、かつての日本にも格差が存在していたとしても、現代の「格差社会」とは構造的な違いがあることは断言できると思います(断言なのかそうじゃないのか、どっちだよ

マトリックス

まずは、この図をご覧ください。


この図が何を示すかは、見ての通りで、縦軸に「幸福度」、横軸に「裕福度」を設けたプロット図です。次に、1970 年代の典型的な分布をご覧に入れます。


今日で言う「上流社会」の原点とも言える「a」群と、同じく「下流社会」の原点とも言うべき「d」群の存在が伺えます。また、「お金は無いけど夢はある」とも言うべき「b」群も、無視できない存在です。ただ、全体に、中心部への集中が見られ、「一億総中流」という幻想の遺産が存在していたことを伺わせます。

マトリックス リロー(ry

では、次に、現代社会における同様の分布をプロットしたものを見てみましょう。


色が違うとか、そういう無粋なツッコミはスルーの方向で。まずは、全体に分散が見られ、「裕福層」と「貧困層」の格差が拡大していることが容易に見て取れます。また、1970 年代には「第 3 勢力」として存在していた「b」群が衰退し、代わって 1970 年代にはあまりその存在が見られなかった「c」群が伸張を見せ、結果として「幸福」から「不幸」へのシフトが進んだことを伺わせます。

これらの調査結果からお判りのように、「格差社会」という概念は、必ずしも近年になって急速に形成された、とは断言できません。むしろ、この 30 年間に「幸福」から「不幸」へのシフトが進んでいるということに、問題の本質が隠されているように思われます。

おことわり

あ、この Blog はフィクションですので念のため。こんないい加減なマトリックスがリアルに存在するわけないですよね(笑)

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