2007年6月18日月曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

気の良い職人肌のおじさんでした

 


1995 年頃の BTCC と言うと……。もしかして、かのガブリエレタルクィーニ師匠がぶいぶい言わせていた頃なのでは……。あと、BTCC と言えばダリオフランキッティの名前しか出てこないけれど、ちょいと時代(ぇ)が後ですよね。

で、話題をガブリエレ・タルクィーニその人に戻しますと、知る人ぞ知る(というほどマイナーでも無いと思うけれど)B 級 F1 ドライバーの最高峰と言うか、大吟醸と言うか、チプリアーニ大司教今時の若者にわからないネタは慎みましょう)級にグレートなレーサーだったと、個人的には思うのですね。

タルクィーニは、1989 年の「NA バブル」と併せて湧いて出てきた(害虫みたい)ドライバーの一人で、バブルが終焉に向かった 1992 年から 1993 年あたりには、予想通りあっさりと淘汰されて消息不明になるわけですが、いやはや、そのキャリアたるや「美しい」の一言ですね(笑)。Osella → Coloni → AGS → Fondmetal (かつての Osella) と、美しくも儚い C 級揃いで。

いっつ・みらくる!

最近の F1 は、JR 西日本ばりの緻密な計算と極限の操縦でもって、まるで時刻表のように決められた周回をこなす競技にすら見えてしまうのですが(偏見丸出し)、当時の F1 は、日産・トヨタに真っ向から対抗しようとする光岡自動車のような(喩えがおかしい)コンストラクターが沢山あって、たまーに奇跡が起きていたんですよね。

例えば、1990 年日本 GP の、ネルソンピケロベルトモレノの 1-2 フィニッシュなんかは、今でも何となく鮮明に(どっちだよ)覚えていますが、あんなものは、まだまだ序の口で……。

マンセルかタルクィーニか、それが問題だ(どんな?

私が F1 を見ていた、ほんのわずかな経験から行くと、やはり最大の奇跡は 1989 年の……。うーん、どちらにしようか迷ってしまいますね……。迷うなぁ……。えーと、何を迷っているかと言うと、「開幕戦ブラジル GP の、マンセル@フェラーリの優勝」と、「第 4 戦メキシコ GP の、タルクィーニ@AGS の 6 位入賞」のどっちが、より「奇跡」っぽいかと……。

いや、そのですね、「意外なリザルト」というのであれば、アリゾナ州はフェニックスで行われた、アメリカ GP でのクリスチャン・ダナー@リアルの 4 位入賞が、最高に意外なんですけどね。でも、あれは何となく除外(えこ贔屓だ!)。

結果はともあれ、マンセルという男も花がありましたね

フェラーリの優勝なんて当たり前じゃないかって? いえいえ、当時のフェラーリは、1985~88 年あたりのボロッボロな状態を引きずっていたばかりか、ジョン・バーナードおじさんが作った、世界初のパドルシフトによる「セミオートマ」を搭載したフェラーリ 639 という車が、そのご自慢のギアボックスが壊れまくって、まともに走らない(事実、第 2 戦以降はギアトラブルでリタイア続きだった。まるで 2004 シーズンのマーカス・グレンホルム@プジョー 307 のごとく)状態だったのです。実際、関係者の誰もが完走すら諦めていたところを、移籍後初レースのマンセルがいきなり優勝してしまったわけですね。そういった意味では、やはりマンセルという男は、ただ者ではなかったと言わざるを得ませんね。

ゴンファロンの奇跡

で、その奇跡と並び称されると個人的に思うのが、1989 年メキシコ GP での、AGS コスワースを駆ったタルクィーニが、ひっそりと 6 位入賞を飾ってしまった件ですね。先ほどの Wikipedia のページをご覧になってもお判りの通り、タルクィーニの入賞はこれが最初で最後、AGS というフランスの超ローカルチームにとっても、おそらく、最初で最後だったのではないでしょうか。

まぁ、メキシコでの「奇跡」にも前兆はあったわけで、例えば第 3 戦のモナコ GP でも、リタイアするまでは 6 位か 7 位あたりを走っていたわけなのですね。当時の F1 は、ジョン・バーナードのフェラーリ 639 をはじめ、信頼性に欠けた車が多かったので、予選を通って、車を壊さずに走れば、そこそこいい所に行けた、という話も、確かにありました。てことは、やっぱタルクィーニは、F1 よりもハコを転がしたほうがお似合いだったということでしょうかね。そうなのか。そうか(自己解決

前の記事次の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

最近の記事

    スポンサーリンク