2007年7月19日木曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

玉川カルテットも「四人組」には違いない

 


駄文は続くよどこまでも

で、中途半端に終わった昨日の記事から続きます。って、実際はほぼ続けて書いているんですけどね。まとめ書きごめんなさい。

そういえば、今年のインディ、まだ見てないよ

どうしても粗野な印象があるからなのか、日本ではあまり人気のない「インディ 500」ですが、私はアレが意外と好きだったりします。「時速 220 マイルでぐるぐる回って何が楽しいの?」という批判が基本なんですが、その是非はさておき、このレースを「国家の歴史的イベント」として盛り上げようという姿勢には、ただならぬものを感じるわけです。

例えば、スタートの前には、必ずどっかのエ……じゃなくてエライ人が出てきて、国歌を独唱したりするわけです。まるでオリンピックの開会式のようなノリなんですね。そりゃま、確かに F1 の日本グランプリでも、君が代が演奏されたりはしますけど、なんて言うんでしょ。なんか違うのですよ。

日本には奈良もありますのでドゾヨロシク

日本に京都があって、ま、良かったんでないかい?」というキャンペーンコピーがありますが(そんなの無いです)、ご存じの通りアメリカには京都は無いわけで、それがある意味彼らのコンプレックスになっている筈なんですね。

端的に言えば「歴史が無い」という中傷です。確かに、「アメリカの歴史」は「原住民の歴史」からの剽窃以外の何物でもないわけで、とても他国に誇れるものでは無いはずなんですね。アメリカにはコロッセオも無ければ、祇園祭の山鉾巡行も無いわけです。だから、ほんのちょっとでも歴史のあるものは、それを「伝統あるもの」として権威付けする必要があるわけです。

お墓のない人生

と言う風に、アメリカを評して「歴史のない国」と中傷する場合に、その対極として引き合いに出されたのが、ソ連を評して「文化のない国」とするものだそうで。でも、これってどうなんでしょう。バレエのような舞台芸術も盛んで、あまたの作曲家や名演奏者を輩出した(ん、日本語被ってるかな。ま、いいか)国という印象もあるんですよね。トルストイやドストエフスキーのような「文豪」がいた国でもありますし、「ロシア民謡」もいっぱいありますよね。それって「文化」とは違うのかな。

玉川カルテットも「四人組」には違いない

んで、と。ようやく二日越しで本題に近づいてきました。これまた随分前に NHK で放送された、中国の「文化大革命」を、当事者の証言ベースで取り上げた番組を、この間の連休で一気に見ました(50 分番組× 4 回)。

まぁ、さすがの私も、とりあえず「文化大革命」という言葉は、聞いたことがありましたよ。でも、「紅衛兵」とか「四人組」なんて言葉は、マトモに聞いたことは無かったですね。だいたい、「文化大革命」という言葉自体、「文化包丁」と同じくらいに意味不明じゃないですか。

「ムーブメント」って便利な言葉ですよね

結局の所、その実体は、良くある「権力抗争」に他ならなかったのですが、毛沢東という、国家におけるカリスマが、自らの失地回復を図って「発動」したムーブメントだっただけに、結果的には「内戦」の一歩手前まで行ってしまったわけで……。

文化大革命の犠牲となった人は、約 1000 万人とも言われるようで、これだけのスケールの「虐殺」を企画できたのは、スターリンと毛沢東だけじゃないか、と言われますね。ヒトラーも、ポル=ポトも、松井石根もポール・ティベッツも、スターリンや毛沢東に言わせると「まだまだだね」ってことになる、なんて話もありますが、それとこれとは話が別ですね。

かといって、代わりの名称は思い浮かばないわけですが

で、まぁ、「文化大革命」というものは、その名前とは裏腹に、仏像などの「文化財」を破壊するイベントに成り下がってしまったというオチもあるわけでして。十年以上の長きに及んで国家の成長を阻み続け、少なからぬ「伝統文化」を破壊し続けた「大混乱」が、今日でも「文化大革命」という名前で語られることに、歴史の皮肉を感じずにおれません。

なぁんだ、なんか「普通のオチ」になっちゃったな……。

前の記事次の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

最近の記事