2007年8月7日火曜日

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現代史の難しさ?

 


前回の傾向と対策(え?

ちょっと、久々に「とんでもないもの」に挑戦してみよう、ということで、慣れない「創作」をやってみました。はっきり言って出来は全然良くないんですけど、意外性はあったかな、なんて。

まぁ、なんでこんな無謀なことにチャレンジしたかと言うと、先日、九州に出張した際に、とても良く晴れていて、日差しが眩しかったのですよ。やはり、小学生時代の夏休みの思い出が脳裏をよぎったのですが、同時に、「昭和 20 年の夏」というものも、強烈な印象でもって頭の中に映し出されてきました。実際に経験したことは無いですが、テレビや映画でさんざん見てきましたからね。

ちなみに、以前にも書きましたが、うちの両親は「戦中派」です。なので、私には多少のアドバンテージがある、とは言えますね。うちの母親は「疎開経験者」だそうです。父方の祖父は軍人だったらしいです。

良くわからないもの

支持率の低迷がすさまじい安倍晋三さんは、初の「戦後生まれ」の宰相として注目を浴びたような記憶がありますが(もはや記憶があいまい)、そんなに「戦前」「戦後」で大きな違いがあるのか、なんて疑問も湧いてきます。「戦中派」と「団塊の世代」の構造的な関係も、良くわかりませんね。

すいません。微妙に寝不足なんで、頭回ってないです……。

歴史認識がどうの」という、見方によっては「不毛な論争」が勃発して久しいわけですが、当事者の多くが鬼籍に入りつつあることも確かで、忌まわしい記憶を墓場に持ち込むことに後ろめたさを感じた方々が、懺悔行脚をするケースも少なくないと聞きます。また、決して意図的なものでは無いのでしょうが、「懺悔」に「脚色」を加える人も目にします。脚色どころか、「創作」に手を染める人も、中には居るようですね。

今回、「創作」にチャレンジしたのは、そういった方々への「挑戦」の意味も兼ねていたりします。

後世の公正な判断に期待?

現代史」というジャンルは、当事者関係者が存命中であることが多く、多かれ少なかれバイアスのかかった記述を排除できない宿命があります。つまり、後世の批判に堪えうる「歴史」は、あと数十年たってからが勝負、なのかも知れません。その時にこそ、「正しい歴史認識」のコンセンサスが形成されていて欲しいものです。

なーんか、かなり短いですけど、許してくださいませ。明日からは、もう少しマトモな内容にしたいな、なんて思っていますので……(できるかどうか微妙だけど)。

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