2007年8月11日土曜日

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ひとつのアクシデントの前には、必ず無数のインシデントがある

 


「○」か「×」か、それが問題だ

そんなわけで、昨日、帰省ラッシュの中、何とか無事に帰宅することができました。うん、新幹線乗り場の「空席一覧表」みたいのがあるじゃないですか。普通車禁煙、普通車喫煙、グリーンそれぞれに「○」「×」が書いてあるヤツ。軒並み「×」でした。どうしてくれましょう。

仕方がないので、直近の「こだま」に乗りましたですよ。ああ、新富士に止まる、掛川に止まる、三河安城に止まる……。来週もこんな感じなんだろうか。ああ憂鬱……。

ファインマンさんいらっしゃい

さ・て・と。懲りずに「BS 世界のドキュメンタリー『検証 チャレンジャー爆発事故』」なんてものを見ましたのでその感想を。1986 年に起こった、スペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故調査を追ったドキュメンタリーです。イギリス制作ってのが良いですね(自国制作では無いという意味で)。

この番組で初めて知ったのですが、この事故調査委員会には、リチャード・P・ファインマンが参加していたのですね。量子力学の大家で、世界初の原爆開発計画「マンハッタン計画」に参画していた人、という知識しか持ち合わせていなかったのですが、えと、つまり、ぶっちゃけ「過去の人」と思っていたので、大変驚いたわけです。

Wikipedia の記事には、25 歳の頃のファインマンの写真が掲載されています。こんな顔の知り合いが何人かいたような……。どことなくガブリエレ・ピンを彷彿とさせる……と書いたところで、いったい日本中で何人がピンのことを覚えているのやら。

本題に戻りますと、ファインマンは 1918 年生まれ。ということは、1945 年時点でまだ 27 歳だったことになります。Wikipedia の記事によると、

1943年から1945年にかけて、ウィーラーの推薦を受け、原子爆弾開発プロジェクトマンハッタン計画に参画した。参画当初はまだ博士号すら取っておらず、原爆の開発に携わったとはいえ、下っ端の方で雑用をしていただけであったらしい。

なのだとか。もっとも、

だがマンハッタン計画に大学院生が加わるという時点でかなり異例である。

という見方のほうが正しいのでしょうが。なんだか「夜神くん」みたいですね(こら、フィクションの話を持ち込まない)。

スリーマイル島しかり、チャレンジャーしかり

で、1986 年時点でファインマンは 68 歳。当初はポリティカルな仕事に従事することに尻込みしていたようですが、事故の原因が事前に予想されていた事を突き止めると、誰の目にも明らかな形での再現実験を行い、原因(「O リングの弾力低下」)を白日の下にさらしたのでした。まるで何かのドラマのように……。

チャレンジャーが事故を起こした時は、私はまだ子供だったので、原因は良く判らなかったのですが、今、改めて聞いてみると、あまりに馬鹿げた原因だったことに怒りを通り越して呆れたものを感じます。スペースシャトルには、左右二本の「ブースター」と呼ばれる固体燃料ロケットがあるのですが、その燃料?が漏れ出さないように封印する、「O リング」用のゴムの材質に問題があったそうです。

ご存じの通り、ゴムはふにゃふにゃした材質のため、燃料のシール(封印)に良く使われますが、温度が低下すると弾力を失うことも知られています。輪ゴムを冷凍庫に入れるとどうなるか、だいたい想像がつきますよね。

ひとつのアクシデントの前には、必ず無数のインシデントがある

チャレンジャーを打ち上げる際に、フロリダ(ケネディ宇宙センター)を大寒波が襲い、シャトルは氷点下の気温に晒されていたそうです。氷点下の外気に晒されると、O リングは弾力を失い、燃料をシールすることができなくなり、燃料漏れを起こしてしまいます。実際、打ち上げの直前から、すでに燃料漏れの兆候が、映像にはっきりと捉えられていました。

ゴムを供給していたモートン社のエンジニアは、再三再四打ち上げの中止を要求したらしいのですが、NASA との大型契約を目前に控えていた社の上層部が、その声を握りつぶしたのだとか。ありがちな、馬鹿げた話だったのですね……。

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