2007年8月13日月曜日

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不明点の整理 (2)

 


不明点の整理を続けましょう。あ、これからの内容は、そんなに「不明」でも無いかもしれませんが。

操舵できないことに気づかなかったのか?

加藤寛一郎氏は「気づいていなかった」と断定していますが、私も、この見解がほぼ正しいと思っています。「ほぼ」と、微妙なレトリックを弄したのは、パイロットが、自分がおかれた状況を「操舵不能」と断定することが、そもそも心理的に困難なのではないか、と考えるからです。

仮に、あなたがめちゃくちゃハイパワーなスーパーカー(死語?)を運転していたとします。場所は長野県の八千代レイクあたりで、湖面は完全に凍結していると思ってください。周りに車は一台もありません。アクセルを緩めたり、クラッチを切ることができない状態で、車はハーフスピンとスピンを繰り返していたとします。

「どうやらステアリングもイカレているらしい」と、うすうす気づいていたとしても、必死で逆ハンを切ろうとするのではないでしょうか。そして、実際には操縦不能になっているにも関わらず、偶然カウンターが当たったかのような挙動をすることがたまにあったとします。「もしかして?」という希望を切り捨てることは、決して簡単では無いでしょう。

本当に操縦不能だったのか?

まず、湖上の暴走車の喩えに戻ります。仮に、その車にエンジンが 4 機搭載されていて、それぞれの車輪に直結していたとします。また、アクセルペダルも 4 つあったとします。素人考えでは、ペダルの踏み加減をエンジンごとに変えることで、ある程度は制御できそうな気がします。

こんなことを書くと、航空関係者の方から激烈なおしかりを受けることはまず間違いないのですが、この理屈は、事故機にも、一応当てはまります。もちろん、524 人が乗った巨大な機体を制御するわけで、しかも「空の上」です。難易度は「湖上の暴走車」の一万倍くらいあるでしょう。ただ、不可能か可能かということを、理論的に判断すれば、可能でした。

実際、事故機と同様に油圧を全系統殺した状態をシミュレートして、エンジンの推力差を利用して「操縦した」、というケースが報告されています。また、実際に 1989 年にアメリカで同様の事故が発生し、かろうじて空港に不時着することに成功、乗員・乗客の半数が生還した、というケースもあります(スー・シティの一件)。

ただ、これらの話は、「後付けの論理」に過ぎません。当時の常識としては、エンジンの推力差のような微妙なものでジャンボの機体をコントロールするなどと言うことが、誰もが想像しがたいことだったことは、まず間違いなかったでしょう。

操縦不能機を操縦する

ちなみに、これも加藤氏の著作の受け売りですが、事故機のクルーは、操縦不能に陥ってから 20 分ほど経過したあたりから、エンジンの推力差で機体姿勢のコントロールを試みていたそうです。

懲りずにたとえ話をすると、こんな感じです。あなたは、ヒモが伸びきったヨーヨーを持っていたとします。誰かがヨーヨーをヒモが水平になるまで持ち上げ、手を離したとすると、どうなるでしょう。ヨーヨーは振り子のように動きますね。

この、ヨーヨー振り子の動きを、なるはやで止めたい場合はどうすれば良いでしょう。ヨーヨーが右に動いている時に、ヒモをもつ手(振り子の「支点」)を左に動かせば、ヨーヨーの移動エネルギー?が相殺されますね。

物理学の素人が語ってますので、多少の間違いには目をつぶってくださいませ。

では、逆に、ヨーヨーが右に動いているときに、ヒモを持つ手を右に動かせばどうなるか。ヨーヨーは加速され、振り子の動きはより力強くなってしまいます。

これは、事故機におけるエンジン推力も、同じような効果を持っていたと考えられます。タイミングが合えば機体の動きを制御できたわけですが、タイミングによっては機体の乱高下を加速することになったわけです。事故機のクルーは、理屈ではなく感覚で、これらのテクニックを身につけたのではないか、というのが加藤氏の説です。

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