2008年1月25日金曜日

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回答者は流転する

 


「絶対的」という言葉の絶対的な定義?

絶対的な存在」というものは、果たしてこの世に存在するのか、考え始めるとおちおち昼寝もできなくなってしまい、結果として翌朝寝過ごしてしまうこともしばしばだったりします。これは一種の哲学的な命題なんでしょうが、私はお茶大の土屋センセではないので、おいそれと答が出せるわけではありません。

ですので、「絶対的な正義」とか「絶対的な悪」と言った、アンパンマン水戸黄門に見られる構図が、現実社会において明確な形で存在することは、むしろ稀である、とも言えるかもしれません。「絶対零度」は、何となく明確に存在(← 矛盾した定義)しそうな気もしますが、ニュートン力学はおろか、一般相対性理論すらいつかは覆されるかもしれないわけで、絶対零度なんて考え方も、ある日ころっと消え失せるかもしれません。

「夢オチ」仮説を棄却できるか

例えば、土屋センセの著書(題名忘れました……すいません)にて何度か出てきた覚えがあるのですが、「夢」が非現実であり、覚醒状態が現実である、ということを証明するのは、極めて困難だとされます(いや、無理だったかも)。実は、私は夢の世界の住人で、「現実」だと認識している世界が、実は「幻想の産物」である、という仮説を棄却することはできない、ということですね。

もう、随分と昔のことになると思うのですが、「ドラえもんの最終回」という都市伝説が喧伝された時期がありました。曰く、「のび太は交通事故?で植物人間になってしまっていて、ドラえもんと過ごした楽しい日々は、実はすべてのび太の空想だった」という、実にもの悲しい結末だった、とされますね。

こういった手法で物語を強引に完結に持ち込むことを「夢オチ」と読んだりしますが、リンク元にもある通り、総じて評判は良くないですね。結局の所、「夢オチ」という手法は、下手をすれば伏線も何も必要なく、本編の整合性すら必要なくなるわけですから、そりゃあ困った作家や編集者が飛びつくわけです。

・・・えぇと、何の話をしていたんでしたっけ(ぉぃ)。ああ、「絶対的な存在」について話をしようとしていたのでしたね。

「木月」と言えば「元住吉」

うん、こんなエセ哲学的な証明に興じる以前に、もっと普遍的なものに絶対的な信を置く人たちもいますね。いわゆる「カルト」と呼ばれる人たちのことです。まぁ、東横線カルトとかだったら尊敬に値しますが(笑)、カルト宗教は勘弁して欲しいな、とも思ってしまいます。

まぁ、そんなわけで、世間には「絶対的な存在」はむしろ稀で、「万物は流転する」と腹をくくった方がいいような気がしてきます。プラトンの著書?によれば、「万物は流転する」という至言を遺したのはヘラクレイトスだとされますね。

Wikipedia の「ヘラクレイトス」の項から引用してみますか。

万物は流転していると考え、自然界は絶えず変化していると考えた。しかし一方で、その背後に変化しないもの、ロゴスを見ている。ヘラクレイトスはまたロゴスは火であるといった。変化と闘争を万物の根源とし、火をその象徴としたのである。燃焼は絶えざる変化であるが、常に一定量の油が消費され、一定の明るさを保ち、一定量の煤がたまるなど、変化と保存が同時進行する姿を示している。

「ジャポニカ」と言えば「学習帳」

「ロゴス」という言葉が良くわかりませんが、同じく Wikipedia の「ロゴス」の項から引用しますと……。

ロゴス logos とは、古典ギリシア語の λόγος の音写で、
  1. 「言葉」「論理」「真理」の意。
  2. またキリスト教では、神のことば、世界を構成する論理としてのイエス・キリストを意味する。
  3. 1が転じて、今日の哲学の分野では「論理的に語られたもの」「語りうるもの」という意味で用いられることもある。

だそうです。ロゴスがラテン語の「logica」に転化し、英語の「logic」になった、のかも知れませんね。

「都築」と言えば「横浜市」

微妙に長くなったので、続きはまた今度。

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