2008年1月28日月曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

関ヶ原と東海道

 


食べ物の恨みは恐ろしや

今日は、本来 21 時にお開きの予定の飲み会をひとりだけ 10 分前に切り上げ(デザートのチーズケーキ食べ逃したぜっ!)、すぐさまタクシーを拾い、新大阪 21:19 発の最終「のぞみ」で東京までやってきました。「じゃぱにーず・びじねすまーん」ここにアリです。牛若丸三郎太と呼んでください。九郎義経とは呼ばないでください。

で、新地(いわゆる「北新地」)某所で無事タクシーを拾って、新大阪駅まで辿り着いたんですが……微妙に騒々しいな? と思いきや、「おくれ約 5 分」との表示が……。嗚呼私のチーズケーキよ……(ぉぃぉぃ

ちなみに、遅れの原因は、「広島付近での降雪」だとか。確かに隠れた雪どころではありますけどね。

関ヶ原の真実(しょのいち

東海道新幹線の「雪どころ」と言えば、誰もが知ってる関ヶ原、ですね。関ヶ原と言えば 1600 年 9 月 15 日の関ヶ原の合戦ですが、徳川家康の勝因としては、(1) 「敬老の日」なので、ご老体の家康に運が味方した、(2) 桃配山に本陣を置いた家康が、豊臣恩顧のキジやサルに桃を配りまくった結果、キジやサルが大活躍した、などが挙げられます。無論信じてはいけませんいないっての

従って、「桃太郎が配ったのは《きびだんご》の筈」というツッコミも却下。

ちなみに、「関ヶ原」は東海道本線(在来線)・東海道新幹線の難所として有名ですが、旧・東海道は近くを通っていないという事実は、意外と皆さんご存じないかもしれません。「そういえば、国道 1 号線は通ってないな」と気がついた方はなかなか鋭いですね。そう、関ヶ原を通っているのは旧・中山道のほうです。

国道 1 号線(東海道)は、名古屋から北に進むのではなく、西に進んで桑名、四日市(ともに三重県)を経由して、亀山から「鈴鹿峠」を越えて滋賀県に入ります。

関ヶ原の真実(しょのに

東海道本線が鈴鹿越えを選ばなかった理由は、8 耐の混雑を避けるため……なワケはなく、(1) 関ヶ原経由のほうがトンネルを掘らずに済みそうだったから、(2) とりあえず長浜まで線路を延ばせば、あとは琵琶湖上を船で行き来できるから、(3) 東京・名古屋と軍港・敦賀を結ぶルートとしても応用できるから、だったと思います。私にしては珍しく真剣に書いてみました。チーズケーキを食べ損なったことなど今や問題ではありません。

ほかにも、桑名経由だと比較的、海に近くなるため、それを忌避した、というのもあったかも知れません。沿岸に敵の艦船がやってきて、砲弾をぶっ放されることを想定していたのですね。あ、これも真剣なので念のため(笑)。

「点と線」……国鉄の関係者はスパニングツリーをどう見たか(意味不明

東海道本線ではなく、その先の山陽本線の話になりますが、「赤穂線」や「呉線」という支線があります。これらの線は、始点と終点がどちらも山陽本線に繋がっているので、場合によってはこっちを本線にしても良かった筈なのですが、どちらも海沿いだったからか、本線になることはありませんでした。

一方、岩国から徳山の間を走る「岩徳線」(わかりやすい名前だ)というローカル線があります。もともと、山陽本線は、岩国から徳山の間の海沿いを走っていたのですが、「海沿いは砲撃のおそれあり」という考え方から、あえて山間部をショートカットするルートを開拓して、山陽本線の一部に組み入れたのでした。

追記ですが、単に《距離を短縮する》という目的も重要だったはずです。

ただ、山間部にむりやり線路を通したことが災いし、急カーブと急勾配が連続してしまったため、結局ものの 10 年ほどで、「山陽本線」から「岩徳線」に降格の憂き目にあったと言います。

まとめ?

いやね、「新幹線は関ヶ原の雪といかに闘ってきたか」というテーマで一本行こうと思ったんですが……、ネタがなくてですね。さりげなく(?)脱線を決めてしまいました。あ、鉄道ネタに脱線は禁物でしたね。失礼しました……。

前の記事次の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

最近の記事