2008年2月6日水曜日

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イリユーシンはガガーリンの影武者として適格だった

 


全然鋭くない

というわけで、「作者急病による休載」を挟み、一日遅れでウラジーミル・イリユーシンの謎に鋭く(ウソ)迫ります。

セルゲイ・フルシチョフ(ニキータ・フルシチョフの子息)が語ったとされる、「ウラジーミル・イリユーシンは、数年間にわたって中国の『賓客』となっていた」という内容が事実であると仮定したならば、「イリユーシンが中国奥地に不時着して重傷を負った」という仮説もまた、俄然真実味を帯びてきます。

それでは、やはり、イリユーシンは「大気圏再突入」に失敗したのでしょうか?

下手な鉄砲……式?

私見ですが、やはり、それは無いと思うのです。まず、イリユーシンが「宇宙飛行」に飛び立ったとされる日付が 1961 年 4 月 8 日です。ガガーリンが「人類初の宇宙飛行を成功」させたのが 1961 年 4 月 12 日。中 3 日しかありません。

ソ連首脳部は、イリユーシンの飛行が失敗することを予期し、予め次の手を打っていたというのでしょうか? それとも、急遽「2 号機」をセットアップしたのでしょうか? どちらも無理があるように思えます。

ただ、見方によっては反証になる点として、ガガーリンは宇宙で「二階級特進を通達された、という話もあります。つまり、生還しない可能性を考えていたのではないか、という見方です。ガガーリンが生還しない可能性を考慮していたということは、イリユーシンが生還しない可能性も、当然考慮していた、となります。

当時のソ連の宇宙開発におけるリーダーは、かのセルゲイ・コロリョフだと思うのですが、もし、コロリョフが「人類の宇宙飛行が成功する確率は 70 %」と見積もって、最初から 2 セット用意するようにし向けていたならば……。私は潔く負けを認めるしかないですね。

うぅ。頭が回らないので、とりあえず話を進めますね。

中国はカザフスタンの東側だしぃ

現時点での私の仮説は、「イリユーシンは中国奥地に不時着して重傷を負った」「イリユーシンは宇宙飛行はしていない」の二つとなります。これらを矛盾無く説明できるストーリーを考えると……。イリユーシンは、宇宙船以外の何かで不時着した、と考えるのが素直でしょう。それが何だったかは……、超音速戦闘機か、ステルス偵察機か、あるいはそれらの模造品か、大穴で「風船爆弾」とか、その辺だったのではないでしょうか。

「ステルス機」という概念は、1960 年代には存在していなかった筈なので、ちょっと時代が合わないですけどね。まぁ、アメリカの「U2」相当の高々度偵察機あたり、かもしれませんね。

キャスティングの妙

実は、ストーリーとしては、「イリユーシンは不時着もしていない」という仮説のほうが、面白いものが書けるのですね。せっかくなので、あらすじを紹介しますと……。

イリユーシンは、ガガーリンが生還しなかった場合のための「替え玉」だったのではないか、というストーリーです。ソ連は、「人類初の宇宙飛行」を、世界中にアピールする必要があったわけで、それはどんなことがあっても、100% の成功が必要とされていた、という「事情」は、一昨日に書いた通りです。ところが、仮にガガーリンが大気圏再突入に失敗し、火の玉となって散ってしまったならば、「失敗」になってしまいます。

イリユーシンはガガーリンの影武者として適格だった?

そんな時に、高名な飛行機のテスト・パイロットであるウラジーミル・イリユーシンという人物が「私が人類で初めて宇宙に行って、ちゃんと帰ってきました」と言う「おとぎ話」をでっちあげたならば、ほとんどの人がコロッと欺されてしまうのではないか、と。

ところが、予想に反して?、ガガーリンが無事生還してしまったので、わざわざ「イリユーシンの偽宇宙飛行譚」を用意する必要が無くなった……というストーリーです。なーんとなく、ありそうな感じがしませんか? :-)

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