2008年2月19日火曜日

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シエラレオネとシエラネバダ

 


構造的な「貧困」について考える前に

構造的な「貧困」について考える前に、シエラレオネの話を。シエラレオネの首都は「フリータウン」という、なんか街全体が「R25」で出来てそうな(ないない)名前なので、「ああ、イギリス領だったのね」と想像がつきます。

比較的近所(のはず)の「コートジボワール」なんかは分かり易いですね。"Côte d’Ivoire" ですから、どこから見てもフランス語(英語にすると "Ivory Coast"、日本語だと「象牙海岸」)なわけで、自ずと旧宗主国がフランスだったことを推察させます。

スバル「レオーネ」という車もありました

ところが、「シエラレオネ」("Sierra Leone")というスペルは、どうにもスペイン語っぽいわけで……。実際、国名の由来はポルトガル語の "Serra Leão" をスペイン語に訳した "Sierra León" からだと言いますし(英語だと "Lion Mountains" になるとか)。

てなわけで、いつもの通り、Wikipedia の「シエラレオネ」の記事から引用してみましょう。

「ライオンの山」と名付けられた理由については、諸説ある。現在のフリータウン付近にいたポルトガル人が、山の方からライオンのように轟く雷鳴が聞こえたため名付けたという説や、山から海へ吹き降ろす風がライオンの咆哮に似ているので名付けたという説などがある。

ふむふむ。何がなんだかさっぱりわかりませんね(笑)。そもそもどこからポルトガル人が出てきたかが良くわかりません。続けましょう。

歴史
1447年-ポルトガル人航海士アルヴァロ・フェルナンディスが上陸。
1462年-ポルトガルのペドロ・ダ・シントラがシエラレオネの半島(フリータウン半島)に到着し、『ライオン山脈』と命名。

なぁるほど。すでに室町時代にポルトガル人が上陸していたわけですね。100 年後にはフランシスコ=ザビエルが来日しているわけですから、喜望峰ルートの途中にあたるシエラレオネにポルトガル人が上陸していても、何の不思議もありません。

「シエラネバダ」は、アメリカにもメキシコにもありますが

さて、「シエラレオネ」という語感から「スペイン語っぽい」と感じたわけですが、その理由はと言えば……。スペイン南部に「シエラネバダ山脈」という山脈があるのはご存じでしょうか。スペインと言えば、地中海の向こう側はアフリカというロケーションで、とても温暖に思えるのですが(実際、温暖なのですが)、シエラネバダでは 1996 年にアルペンスキーの世界選手権が行われたこともあり、南部ではありながら、スペイン屈指のスキーリゾート……だったと思います(自信ナシ)。

本来 1995 年に予定されていたものが、雪不足で 1996 年に延期されたなんて話もありますが。

そして、シエラネバダから「シエラ」を取れば「ネバダ」になるわけで、そういえばアメリカに「ネバダ州」というところがありますね。ネバダ州最大の都市は、言わずと知れた「ラスベガス」ですが、州都は「カーソンシティ」という所だそうです。どこソレ

Wikipedia の「ネバダ州」から、ちょいと引用しますと、

州名は「雪に覆われた」を意味するスペイン語の形容詞に由来する。

へぇ~~(´∀`)。つまり、「シエラネバダ」って「雪の山脈」だったのね。

社会科必勝法

そして、アメリカの「ネバダ州」は、かつて(スペイン系の)メキシコ領で、米墨戦争終結に伴ってアメリカに割譲させられた、ということも容易に理解できます(ま、「ラスベガス」という地名自体がメキシコ風ですけど)。物事を単純に暗記するのではなく、このような関連性を理解していけば、社会科が好きになれると思いますよ(何のことやら

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