2008年2月24日日曜日

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C56 160 の謎

 


円は丸いから 1 ドル 360 円でした

「ねぇねぇ、『ドッジライン』ってなーに?」と聞いてみたところで、小学生相手に説明ができる筈もなく、両親は「昔、日本は戦争に負けてな、進駐軍が来てな……」と一通りの説明に終始したのでした。

ただ、その後も「桜木町事故」で大量の焼死者が出た原因が、63 型電車の「戦時設計」にあるとか、なにかにつけて「戦争」(=太平洋戦争)というキーワードを目にすることが多く、いつしか人一倍興味を持つようになってしまったことは否めません。

サイモンとガーファンクルは関係ありません

当時、幼心にインパクトを与えた記事が、某誌に 2 回に亘って連載された「メクロンの永久橋」と題された記事でした。この名前だと「何のことやら」と思われることが大多数だと思いますが、映画「戦場にかける橋」のモデルとなった「クワイ河橋梁」のことだ、と言えば「ふーん」と思われる向きもあるでしょう。

まぁ、映画「戦場にかける橋」自体、公開は 1957 年ですから、もう 50 年も前の作品なんですけどね。なになに、公開は 1957 年 12 月 18 日とな? :)

「メクロンの永久橋」こと「クワイ河橋梁」は、旧日本軍がインパール作戦に備え、タイからビルマへの補給路を確保すべく、「泰緬鉄道」(泰緬連接鉄道)なる軍用鉄道を敷設する際に架橋された鉄橋です。現地には重機などが皆無だったため、建設は現地で徴用した労働者(タイ人やビルマ人、マレー人など)と、POW こと連合国軍俘虜を、強制的に労働に従事させることで行われた、とされています。

鉄道の建設現場は熱帯の山中で、十分な食料が無い状態で、しかも極めて不衛生な環境だったため、当然のことながらコレラを始めとする疾病が大流行し、大量の死者を出す羽目に追いやられます。そんな中、鉄道は 1943 年 10 月、まがりなりにも完成し、日本から送られてきた C56 31 号機が日章旗を掲げて一番列車として走ったとされます。

C56 160 の謎

ここでまた一つ、昔年の謎が解けたのでした。昨日の記事にも出てきた「梅小路蒸気機関車館」には、多くの機関車のトップナンバーが動態保存されていました。例えば、山口線で「やまぐち号」を牽引していた C57 1 号機とか C58 1 号機とかですね。C62 は、例外的に 2 号機が保存されていましたが、それはさておき。

ところが、比較的小型で、地方のローカル線でも使用することができた C56 については、なぜかラストナンバー160 号機が保存されていたのです。この不自然な事実は、小学生にも「なんでだろ~」と思わせるものだったのですね。

ここで理由がわかったのですが、実は C56 型は、軍の指令により、1 号機から 90 号機まで、全て徴発されていたのでした。そして、その多くが「泰緬鉄道」に送られていた、というわけです。

壮大な「ミステリー」に魅了されていたのでした

小学生にとっては、「ほへぇ~」と口をぱっくり開けてしまう事実の数々に、良くわからないなりにも魅了されてしまったのでした。もちろん「インパール作戦」が、どれほど荒唐無稽かつ悲惨な「作戦」だったかは、知るよしも無かったわけですが……。

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