2008年3月6日木曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

レコード針の都(違)に行ってきました

 


レコード針の都(違

今日は、京都府は長岡京市に行ってきました。ふと思ったんですが、「長岡京」の全国的な知名度って、どんなもんなんでしょ? 「藤原京」とか「恭仁京」よりはメジャーかな、とは思うのですが……。

ほかにも「難波京」「平城京」「大津京」「福原京」「花紀京」なんてのもありますね。ひとつだけ関係ないのが紛れてますけど。

長岡京市の玄関口は、JR では「長岡京駅」ですが、ここはかつての「神足駅」と呼ばれていたところで、周りは意外と閑散としています。西側に阪急京都線が走っていて、そこの「長岡天神駅」周辺のほうが、どちらかと言えば栄えていますね。古くから栄えていた悪弊として、区画が雑然としている印象もありますが。

「長岡京」についておさらい

さてと。懲りずに京も、じゃなくて今日も Wikipedia さんのお力をお借りします。「長岡京」の記事から引用です。

長岡京(ながおかきょう)は 784 年(延暦 3 年)、桓武天皇が平城京から遷都して造営された。

はい。これは教科書で習う内容ですね。

784 年は甲子革令の年であり、桓武帝は天武系から天智系の天皇であったことも興味深い。

いきなり何だか高度な内容ですね。ウィキペディアンの真骨頂発揮でしょうか。

「甲子革令」について

それじゃ、せっかくなので「甲子革令」について、「甲子」のページから引用しましょうか。

大正 13 年(1924 年)に兵庫県西宮市に作られた野球場は、この年の干支から「甲子園大運動場」(現在の阪神甲子園球場)と命名された。

はい、これは大体想像がつきますのでスルーしましょう。というか引用順序おかしくない?

王朝交代の革命の年である辛酉の年の 4 年後で、天意が革(あらた)まり、徳を備えた人に天命が下される「革令」の年、すなわち変乱の多い年とされた(甲子革令)。それを防ぐ目的で、日本の平安時代以降この年にはよく改元が行われた。1024 年の甲子改元以降で、明治(一世一元の詔により在位中の改元が廃止)より前に、甲子改元が無かったのは永禄7年(1564 年)のみである

「辛酉革命」については、ちょうど一年ちょい前の、2007/3/3 付の記事でちらっと書いてますが、要するに、干支が「かのととり(辛酉)」の年に革命が起こる、という考え方です。つまり、60 年に一度革命が起こるってことです(どんな断言の仕方だ)。

半期に一度のビッグチャンス!

まぁ、桓武さんか、あるいはその近所にいた暦に詳しい人が「陛下、今年は 60 年に一度のビッグチャンスでございますぞ」と進言して、思いつきでやっちゃった感がそこはかとなく漂う「遷都劇」だったわけですが、実際には、たった 10 年弱で放棄され、再度「平安京」に遷都してしまったのは、日本史の時間に習ったかと思います。原因は、疫病とも、たたりとも、平安京エイリアンの仕業とも言われますが、異説もあるようです。

っと。ちょうど盛り上がりそうな機運が高まってきたような雰囲気がほのかに漂い始めた印象が散見される今日この頃ですが、とりあえずこの辺で。

前の記事次の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

最近の記事

    スポンサーリンク