2008年3月7日金曜日

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「方違え」と「寝違え」の微妙な関係について(違うだろ

 


平安京とエイリアンの関係について(違

というわけで、長岡京についてのお話の続きです。ご存じの通り、「長岡京」は、西暦 784 年に建都されるも、わずか 10 年後の 794 年には、北東に位置する「平安京」に再び遷都されてしまい、廃棄されてしまいました。

長岡京が廃されたのには、それ相応の理由があったと思うのですが、Wikipedia の「長岡京」の記事には、こんな説も記されています。

また、その期間の短さから形だけの遷都、本来の目的は山背で長岡の地は大規模な遷都への準備であり方違えではなかったのかという説もある。

「山背」は「やましろ」、つまり「山城」のことですが……、この文脈だと「平安京」のこと、かも知れません。

変な姿勢で寝ると首根っこが痛くなりますが

方違え」は、あまり耳にしない言葉ですが、同じく Wikipedia の「方違え」から引用しますと、

方違え(かたたがえ、かたちがえ)とは、陰陽道に基づいて平安時代以降に行われていた風習の一つ。方忌み(かたいみ)とも言う。

外出や造作、宮中の政、戦の開始などの際、その方角の吉凶を占い、その方角が悪いと一旦別の方向に出かけ、目的地の方角が悪い方角にならないようにした。

はい、陰陽道が云々、という話のようです。

エイリアンは桓武の策略だった!?

どういうことかと言いますと、桓武(天皇)は、最初から「平安京」に行きたかったが、直接、真北に移るのは(陰陽道的に)よろしく無いので、一旦「ちと北西」に移って、タイミングを図って「最終目的地」たる「平安京」に移ろうという、二段構えの引っ越し計画だったんじゃないか、ということです。つまり、最初から「長岡京」は腰掛けに過ぎなかった、ということですね。

こんな計画は、もちろん二度手間になりますので、支持が得られないかもしれないと考え、「疫病」とか「たたり」とか、もっともな理由を後付けで考えた、なんて仮説も成り立つかもしれません。なかなか面白いストーリーとなり得ます。

常磐線は国鉄の鬼門だったとか

ただ、少し疑問に思ったのが、「鬼門」の存在です。陰陽道や風水の素養は無い私ですが、「(家の)北東(や南西)に水場があると良くないよ」という迷信は、一応気にとめていました。親類の家が、北東に風呂場とトイレがあり、家族に大病が続いたので、わざわざ城南宮まで行って、方除けのお札を買いに行ったこともあります。具体的な効能があったとは言えませんが、今のところはみんな健やかに過ごせています(笑)。

今から考えれば、私が小学生の頃に住んでいた家が、(ほぼ)北東に玄関があったんですよねぇ……。家相(笑)的には最悪なんですが、住んでいた時は特に何もなくて、その家から引っ越した後に、色々と不幸がありましたねぇ……。

ま、そんなわけで、わざわざそんな、鬼門とも言われる「北東」に移るために、「方違え」までするかなぁ、という疑問が拭い去れないのも事実です。

木乃伊取りが木乃伊に……

平安京においても「鬼門」には注意が払われていたようで、北東には比叡山延暦寺が置かれ、平安京の北東(鬼門)を守らせた、なんて話もあります。

で、その延暦寺の僧兵が、示威行動として都(平安京)に押し寄せることもあったわけで。この場合、延暦寺の存在そのものが「鬼門」となっていたわけで……笑えない話ですね。

ほそく

あ、「北東に水場が~」云々や、家相云々の話は、あくまで「迷信」の類として捉えてください。信じるも信じないも自由ですので念のため。

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