2008年3月16日日曜日

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全てはベレンコの奥さんがブチ切れたことから始まった

 


As Seen On TV...

ヴィクトルイワーノヴィチベレンコ中尉が操縦するミグ 25 戦闘機が函館空港に強行着陸したのは 1976 年 9 月 6 日のこと……ですから、もう 32 年近く前の話になります。当然ながら、リアルタイムでの記憶はありません。

どんな事件だったかと言いますと、(当時の日本が「仮想敵国」と見なしていた)ソ連防空軍のミグ 25 戦闘機が、演習に向かう途中に 1 機だけこっそり北海道に向かい、レーダーの死角となる海面スレスレに飛行することで自衛隊の迎撃をかわし、あろうことか函館空港に着陸させてしまったという、前代未聞の不祥事でした。

実際には、ベレンコのミグは自衛隊のレーダーに捉えられていたが、その後低空飛行に移ったためレーダーでの追跡に失敗、また、迎撃した F-4 は下方の視界が良くなく、結局ベレンコのミグを見つけることはできなかったとのこと。ソ連による領空侵犯は「良くある話」なので、「今回 *も* 引き返したのだろう」という「思いこみ」も、きっとあったのだと思います。

絶望した!かどうかは定かではありませんが……

幸い、ベレンコは米国への亡命を希望していたため、「軍事的な損失」とはならなかったのですが、仮にベレンコのミッションが、例えば生物兵器を散布するなどの、秘密裏な攻撃活動だったとしたならば……といった可能性を考えると、自衛隊は防空に失敗したと言えるわけで、関係者に大きな衝撃を与えたと言われます。

ただ、もう一方の当事者たるソ連も、後の 1987 年に、あろうことか、領空を侵犯したセスナ機をモスクワの赤の広場に着陸させてしまうという「空前絶後の不祥事」を起こしてしまっています。スティングも「歴史は繰り返す」と嘆くわけです(笑)

えと、つまりどういうことかと言いますと、「防空って大変だよね」ってコトでして……。日本とソ連が格別にお粗末だったかと言うと、うーんどうだろ、とも思います。間違いなく日本がお粗末だったと思うのは、こういった「事件」が起こった際のプロシージャ(「手続き」と訳すべきか)に、未定義の部分が多すぎる(ような気がする)所ですね……。

生ミグ見放題さわり放題

さて、白昼堂々(だったと思う)函館空港に強行着陸したミグ 25 戦闘機は、結局オーバーランして田んぼに突っ込んで止まったらしいのですが、機体は転覆したり大きく破損することがなかったため、自衛隊や米軍に取っては、図らずも「生ミグ見放題さわり放題」というウハウハな事態となったのでした。

主力戦闘機が、ほぼ完全な形で「敵」の手に渡ることほど恐ろしいことは無いでしょうね。旧日本海軍の「ゼロ戦」も、運悪く沼地に不時着した機体が米軍に回収され、とことん研究されたと言われます。徹底的な研究は、太平洋戦争後期にゼロ戦の損耗率が著しく上昇した原因の一つと言えるかと思います。

当時、「ソ連っておっくれってるぅー☆」というネガティブキャンペーンに使われたのが、トランジスタ全盛のご時世にあって、重要部位に「真空管」が使われていたことですが、これは未だに評価が定まらないみたいですね。「真空管はトランジスタと比べて核爆発による影響が少ない」という説もまことしやかに囁かれているようですが、「大出力のレーダーを安定稼働させるためには(当時の技術では)真空管がベストな選択だった」という説も、負けず劣らず魅力的な仮説であるように思えます。

全てはベレンコの奥さんがブチ切れたことから始まった

ベレンコ中尉亡命事件」のその後ですが、ヴィクトル・ベレンコは、無事米国への亡命が認められ、その後、KGB の殺し屋に消されることなく、CIA のブレーンとして活躍したとか。一方、機体の隅々まで「見放題さわり放題の刑」に処されたベレンコの愛機(ミグ 25)は、最終的にはソ連に返還されたそうですね。

ベレンコの「出奔」が原因で、ソ連が失ったものはとても多かったわけですが、ベレンコを亡命に駆り立てた理由は、「劣悪な生活環境と、そこから来た妻との不和」だという説が有力なのだとか。ベレンコの奥さんがブチ切れたおかげで、最終的には防空軍パイロットの生活水準は著しく向上したと言いますから、「人間万事塞翁が馬」とは良く言ったものです。

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