2008年4月3日木曜日

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笑うか笑われるか、それが問題だ

 


昨日は、笑いの攻撃性について考えながら、強い力、弱い力、電磁気力、長州力など思いを馳せてしまったのでした。今日こそは軌道修正したいですね、ということで……。

「悲惨な戦い」

「笑いの攻撃性」が如実に表れているものとして、「残酷な笑い」というものがあると思います。別名「他人を傷つける笑い」とでも言いましょうか。一番分かり易いのが、ある人の身体的特徴をネタにした笑いです。例えば、吃語癖のある人に、わざとスピーチ役を押しつける、といった風に。案の定、あがってしまってスピーチで噛みまくる姿に対して「残酷な笑い」が生まれるわけですが、同時に、笑いものにされた人間は痛く傷つく羽目になります。

幼児期から少年期にわたって、学校などで「いじめ」がなくならないのは、ひとえに、「いじめる側」に回ることで、精神的なストレスのはけ口を見つけたいといった深層心理も一因なんじゃないか、なんて思います。オトナと比べてコドモのいじめがより陰湿なのも、オトナには「酒」や「たばこ」「ギャンブル」や「エロ(笑)」と言ったウェイストゲートがあるからかな、と思うのですね。

「什麼?」

少し展開に詰まったので、例によって Wikipedia さんのご意見を伺いましょう。「笑い」の項から引用します。

笑いの分析
笑いは構図(シェーマ)のずれであると考えられている。例えばコントなどで滑って転ぶ政治家が演じられて笑いが起きたとすると、「政治家は真面目で威厳ある人で、滑って転ぶことなどありえない」という構図を受け手が持っていて、それがずらされたことによって笑いが起きたことになる。

ふむふむ、これは極めて健全な笑いのようですね。先程の「スピーチ」の例だと、「スピーカーは淀みなくスピーチを行うものである」という構図があるにも拘わらず、実際にはスピーカーが噛みまくってしまった、というところで笑いが発生する、と言えますね。

あ、「什麼?」は「しぇんま?」のつもりです。意味は……「なんすか?」でしたっけ? 似たニュアンスで「対不起」という言葉もあったと思ったのですが、これは「すいません」は「すいません」でも、"I'm sorry." という意味らしいですね。勘違いしてた……。

笑うか笑われるか、それが問題だ

ちょいと飛ばして、続き。

また、笑いは立場によって意味を変える性質がある。転ぶ政治家を見ている人にとってはおかしな出来事であっても、政治家自身にとっては不名誉で笑えない出来事になる。

うん、そういうことですね。晴れの場でヅラがずれたりしてしまったら、周りの人はこみ上げる笑いをこらえるのに必死でしょうが、当の本人はたまったもんじゃないですからね。

万歳三唱!

で、一昨日の記事で紹介した「万歳三唱令」ですよ。このジョークの場合、「赤っ恥をかく人」は「引っかかった人」になるんですが、仮に、誰も引っかからなかったとしても、十分に笑えると思うのですね(仮に「引っかかった」としても、エイプリル・フールのジョークに引っかかったことが、その後の人生に影を落とすことは、まず無いでしょうし)。

というわけで、この「ジョーク」の「罪のない笑い」に、たいそう感銘を受けたのでした。ぜひともあやかりたいものですね。むやみやたらに人を傷つけたくないですから。

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