2008年4月9日水曜日

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ふざけて林檎売りの真似をする

 


さてと。ケルビンや摂氏・華氏について語る前に、どーでもいいことを思いついたので、まずはそれから(どーでもいいんじゃねぇのかよ)。

「美術」とかも苦手だったかも

子供の頃は、「国語」が One Of The 苦手な教科でした。どの辺が……と言いますと、答があるようで無いところが、とっても苦手でしたね……。例えば、文学作品などを読んで、「『私』が『K』に対してどのような気持ちを抱いたと思うか述べなさい」みたいな問題が……苦手でしたねぇ。「自分は作中の『私』じゃねーんだから、わかるわけ無いだろコノヤロー」というわけで。

ちなみに、夏目漱石の「こゝろ」に出てくる「K」のモデルは、幸徳秋水とも、石川啄木とも、清沢満之とも言われているそうで。ところで清沢って誰?

愛知用水、明治用水……

さて、幸徳秋水と言えば井上陽水なのですが(そうなの?)、例えば、私が「国語」の先生だったら、こんな問題を出すかも知れません(但し、JASRAC が見逃してくれたら、の話ですけどね(笑))。

以下の詩を読んで、問いに答えなさい。

窓の外には林檎売り 声を枯らして林檎売り
きっと誰かがふざけて 林檎売りの真似をしているだけなんだろう
(井上陽水「氷の世界」の華氏、じゃなくて歌詞より)

問題 窓の外にはどんな人がいたのか、200 字以内で記述しなさい。

もはや国語の問題とは思えません(笑)。むしろ「心理学」とか「哲学」の問題かも。こんな問題を出されちゃったら、どう答えますかねぇ……。

回答例(ぇ

まず、「ふざけて林檎売りの真似をする」という行為自体が、やや理解不能です。いや、違うか。そもそも「林檎売り」ってのが理解できてないかも。「毎度おなじみ」と言えば「ちり紙交換」ですし(こちらも絶滅しつつありますが)、「わらび~~~~もち、わらびぃもちぃ~~~~」という、チャルメラの旋律をそのままパクった「わらび餅売り」ならたまーに見かけますが、「林檎売り」を見かけることはありません。

つまり、「きっと誰かがふざけて」何かの真似をするならば、別に「わらび餅売り」の真似でもいいんじゃないかと思うのですね(← おい)。ところが、よりマイナーだと思われる「林檎売り」の真似をした、しかも「声を枯らして」まで真似をした、というところに、非常に深遠なものが感じられるわけです。

「窓の外の林檎売り」は、本人にとっては「声を枯らして」まで「真似」をしているわけですから、本人にとっては真剣そのものであると推測できます。これは、ひどく「林檎売り」にあこがれているか、あるいは、既に「林檎売り」に入門して、現在は OJT の最中である可能性も考えられると思います。

ところが、周りからは「ふざけて林檎売りの真似をしているだけ」としか捉えられないという点で、この林檎売りは KY である可能性も赤丸急上昇(死語)になるわけで、将来、行商人として成功する可能性はあまり高くないと言わざるを得ません

文字数カウント!

え……! 582 文字! そんなぁ……。orz

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