2008年4月25日金曜日

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哲学とデートスポットと純粋理性批判

 


U-23 枠

琵琶湖疏水を作ったのは、作業員のおっちゃん……という次元の話ではなくて……(ぉぃぉぃ)。えーと、田辺朔郎というおじさんです。このおじさん、最近の「社会科」の教科書には出てくるのでしょうか。私は習った覚えがあるのですが、もしかしたら「郷土のエラい人だったかもしれません(笑)。

略歴を見てみるとですね……。

略歴
1861 年 - 高島秋帆門下の洋式砲術家である田辺孫次郎の長男として江戸に生まれる。
1883 年 - 工部大学校卒業。卒業論文は、『隧道建築編』、『琵琶湖疎水工事編』であった。
同年 - 北垣国道京都府知事に請われて京都府御用掛となり、琵琶湖疏水工事に従事する。
1888 年 - 渡米。水力発電所などを視察。
1890 年 - 琵琶湖疏水が完成。
1891 年 - 日本初の水力発電所である蹴上発電所が完成。東京帝国大学教授に就任。
(Wikipedia 日本語版「田辺朔郎」から引用)

うーん、なんだか凄いですね。琵琶湖疏水の設計を始めたときは、まだ 22 歳だったと言うのですから驚きです。父親の「洋式砲術家」というのも何だか凄いですが、「洋式」と言うからには「和式」もあったのでしょうか。もしかしたら「中華式」もあったのかもしれません。あれ、何の話をしてたんでしたっけ。

「北垣国道」という名前もなんだか凄いですが、「伊吹文明」を産んだ国ですから、まぁ、これも良しでしょう(笑)。

哲学とデートスポットと純粋理性批判

さて、「琵琶湖疏水」とは、琵琶湖と京都の間に何本かトンネルを掘って水路を通してしまおうというプロジェクトだったのですが、無事完成し、さらには「第二琵琶湖疏水」なるものまで掘られて現在に至ります。琵琶湖疏水の「出口」となる場所は、南禅寺のあたりになるのですが、そのまま動物園や平安神宮の脇を流れて鴨川の横の運河に注ぎ込む流れのほかに、南禅寺の境内を突っ切って、その後、鹿ヶ谷や銀閣寺の脇を抜けて北上する流れもあります。

この分流のほとりの散歩道が、ご存じ「哲学の道」です。打倒平家の陰謀が繰り広げられた脇を抜け、嫁さんの尻に敷かれていた 8 代将軍義政が予算カットのために銀箔の調達を断念した別荘の脇を抜けるこの小径にて、哲学者の西田幾多郎が思索に耽ったとも言われ、そのことが「哲学の道」の由来とされます。

シーズンには、日本画家・橋本関雪の婦人が苗木を寄贈したことに端を発する「関雪桜」が咲き誇り、今や観光スポットともデートスポットともなっている「哲学の道」ですが、もともとはと言えば、京都の近代化のために建設された「琵琶湖疏水」の土手道なんですよね。革新的な土木工事も、一世紀も経てば「歴史的遺産」に早変わり……というわけで、首都機能を喪失しても、未だに「革新」を追い求める都人の思想があって、今日(こんにち)の京都がある、ということを思わずにはいられません。

こたえ

あ、滋賀県の河川で、琵琶湖に注ぎ込まないものは、瀬田川と大戸川です。

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