2008年4月29日火曜日

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ふたりのジュリー

 


山が先か、神社が先か

京都は左京区の、吉田山の麓に親戚が住んでいたもので、京都駅から「京都市バス」に乗って、えっちらほっちら出かけたものでした。かつては「200 系統」という、謎のキリ番系統が走っていたのですが、200 番台は旧・京都市電の代替となる「市中心部循環系統」に割り当てる、というルールが決まったからか、「特 17 系統」という、何とも締まりの悪い系統番号に変えられてしまったのでした。

「特 17 系統」というのは、「17 系統」の亜種、という意味なのですが、本家 17 系統よりも本数が多く、事実上の主流となっていました。その後、本家 17 系統を吸収合併して、東寺まわりのローカル区間を「16 系統」として独立させた、みたいです。

吉田山の西側に吉田神社があり、吉田神社の参道は「東一条通」という名前でそのまま西に延びています。東一条通の南北には、ご存じ京都大学のキャンパスがあるのですが、うちの親戚は、ちょうどその反対側の、吉田山の東側に居を構えていました。神楽岡通白川通の間の辺です。

ちなみに、地図で見た限り、神楽坂通もあるそうです。かなーり狭そうですが……。

吉田山と言えば吉田神社、そしてその神職を司る一族の出だった吉田兼好こと卜部兼好が有名なのですが、そういえば、これらの依存関係ってどうなんだろう、なんてことが気になりました。卜部兼好は、吉田神社神職の家系だったことから、その子孫が「吉田氏」を称した、ということは何となく想像がつくのですが、「吉田山」と「吉田神社」の前後関係が、ちょっとわかりません。

つまり、「吉田山」にあったから「吉田神社」なのか、あるいは逆なのか、ということがわからない、という話です。まぁ、はっきり言ってどうでもいいことなんですけどね。

吉田山の東麓には「神楽岡通」が南北に伸びているのですが、吉田山の旧名が「神楽岡」だった、という話もあるみたいです。そうなると、「吉田神社」があったから「吉田山」説が俄然現実味を帯びてきますが、残念ながらこれだけでは傍証とはなり得ません。

白川通のジュリー

親戚の家には、「浄土寺」というバス停が最寄りでした。バスから降りた時に、母親などから何度も聞かされた話が、「見てみ、確かあの辺がジュリーの家らしいで」でした。

京都にゆかりのある人物で、「ジュリー」という名前で有名だったのは二人いますが、こっちの「ジュリー」は沢田研二のほうでした。時は既に「田原俊彦」や「野村義男」、「近藤真彦」が全盛の時代でしたから(ハイそこ、「『ヨッちゃん』に全盛期なんてあったんだ」なんて言わない)、沢田研二は「なんか昔凄かった人」という認識でしかなかったのですけどね。

あ、沢田研二が「ジュリー」というニックネームだったのは、沢田研二がジュリー・アンドリュースのファンだったから、なんだそうですね。確かに「ジュリー」は女性の名前だもんなぁ。なんか変だなぁ、と思ったのですが。

河原町のジュリー

京都で有名だったもう一人の「ジュリー」については……。河原町のジュリーという伝説の有名人がいました。早い話がホームレスの人だったのですが、なんせ有名でした。いろんな噂というか、都市伝説がありましたねぇ……。京大卒だとか、実はもの凄い資産家だとか。真相を知ろうにも、ジュリーは冷たい土の下で黙して語らず、今もきっと藪の中なのだと思いますが。

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