2008年5月6日火曜日

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私たちは、もっと歴史を学ぶべき

 


「一番美しく」という映画もありました

硫黄島からの手紙」という映画がありました。生憎、私はまだ見ていないのですが、なかなか良い作品だったと聞いています。

最近の若い人(うわ、年寄りじみた表現だ(笑))からしてみると、この映画で初めて「硫黄島の戦い」を知った、というケースも多かったことでしょう。映画で初めて「硫黄島の戦い」に触れた「最近の若い人」には、例えば栗林中将の生き方について、どのように思ったのか、とても興味があります。

硫黄島が米軍の手に墜ちたのが 1945 年で、今年はそれから 63 年が経過したことになります。少なからぬ人が「戦争体験を風化させてはいけない」と感じていると思うのですが、それでは果たして、どんな「戦争体験」を後世に語り継ぐべきなのでしょうか。

歴史認識とわたくし

私が子供の頃(さぁていつ頃かなぁ(笑))は、児童疎開船「対馬丸」の悲劇について、色々と聞かされたものでした。あとは、早乙女勝元さんが編者を務めた(のだと思う)写真集なんかを見せられていました。具体的には、黒こげになった親子の(遺体の)写真などですね。

前にも書きましたが、うちの両親は戦中派なので、その辺は、他の同級生より熱心だったように思います。また、「歴史認識」として、日本はアジアの各地を侵略したこと、また、その多くは残虐行為が伴っていたこと、あたりを(口頭ではありましたが)教わったような気がします。

少し話題がずれたので、元に戻しましょうか。

「勧善懲悪」的な「水戸黄門史観」

「反戦教育」というのは、ちょっとどうかな? と思うのですね。一種のいいがかりかもしれませんが、「反戦」というイデオロギーを「教育」するのは、体の良い「洗脳」に他ならないと思うのです。

日本は、「最後の戦争」(色々と語弊はあると思いますが、少なくとも、国家の存亡をかけた戦争としては、あれが最後だと思うので)にて完膚無きまでに叩かれ、そして現在に至るわけですが、その「苦い歴史」を、ステレオタイプに捉えてはいけないと思うのです。

厄介なのが、結果的に「出る杭が打たれた」形になっていることでしょうか。「真珠湾を攻撃したから、逆ギレしたアメリカに原爆を落とされた」という見方ができてしまうわけで、「真珠湾を攻撃しなかったら、原爆も落とされなかったんだよね」という「誤った解釈」を招きかねないところがあります。

何故に「誤った解釈」としたかですが、もし、仮に盧溝橋事件の後、日本が中国大陸から撤兵していたらどうなったか。日米開戦は避けられていたかもしれませんが、「臥薪嘗胆ふたたび」とばかりに、さらなる軍備増強を図っていたことが容易に想像できるからです。

「良い軍人」と「悪い軍人」?

また、少し話題がずれましたね。

いずれにせよ、私は当事者ではないので、どうしても推測の域は出ないのですが、当時の日本人は、とても真剣だったと思うのですね。硫黄島で文字通り「必死」の戦いを繰り広げた守備隊の人たち然り、「回天」や「桜花」、あるいは「零戦」などで「片道燃料の旅」を敢行した、いわゆる「特攻隊」の人たち然り。

一方、上海や南京での都市戦を戦い、大量の捕虜を虐殺した人たちも、上官の命令を忠実に遂行したという点では、何ら違いは無いような気もします。捕虜の殺害は明らかに犯罪ですが……。

History teaches us... everything !?

うーん、また、何を言いたいのか良くわからなくなってきた。

要するに、先の戦争を、そろそろ「歴史」として扱うべきではないのか、ということです。感傷的なやりとりは、大局的な視点を損ないかねませんし、「政治の道具」にされるのも、もうまっぴらです。「史観の押しつけはもういいから、「歴史的事実」を、もっと真剣に教え、学ぶべきだと思うのです。

そして、私たちは、もっと先の戦争について勉強しないといけません。「物語」としてではなく、歴史的に地理的に政治学的に経済学的に

真剣に、「最近の若い人」の考えを知りたいな、と思います。

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