2008年5月25日日曜日

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しゅらっしゅっしゅっしゅっ

 


季節はずれの……

終戦記念番組」とかいうものを見ました。今が何月か、なんてことを考えてはいけません(←

まぁ、所詮日本の民放が製作した番組なので、総じてありきたりな内容が多かったのですが、北千島で発生した「占守島の戦い」を取り上げた部分は、なかなか興味深いものがありました。

占守島」は、「しゅむしゅとう」と読みます。千島列島の北東端に位置する小さな島です。

超早口で「自由民主党」を発音すると、ちょうど「しゅむしゅとう」になったりは……しないか、やっぱ。

そうそう、「守島」ですが、字面から「しむしゅとう」と思っていたのですが、「しむ」じゃなくて「しゅむ」が正しいようです。今はロシアの実効支配下で、「シュムシュ島」と呼ばれているようです。そのまんまですね。

しゅらっしゅっしゅっしゅっ

占守島は、カムチャツカが目と鼻の先であることもあり、日本の守備隊が敗戦まで詰めていました。備隊が人口の大半をめる占守島……とか言ったりして。:p

で、1945 年 8 月 15 日、いわゆる「玉音放送」とともに太平洋戦争は終結した……筈だったのですが、全てが終わった筈の 8 月 18 日未明、占守島守備隊は国籍不明の軍隊に急襲されます。自主的に武装解除をしていたところをいきなり襲われたので、とりあえず応戦したのが「占守島の戦い」の真相……のようです。

しかも、不幸なことに、撤収モードに入っていた筈の日本軍が善戦してしまい、ソ連軍は日本軍を上回る死傷者を出してしまう始末。番組の中では、当時「占守島の戦い」に参戦した 3 人の元軍人が出てきたのですが、「日本が 8/15 に降伏していたのを知らなかったのか?」との問いに「知らなかった」と断言していました。

岡田さんの野望

なぜ、このような奇妙な出来事が起こったのか。ソ連は、対独戦を戦っていたこともあり、ヤルタ会談ではちゃっかりと連合国側の一員として体面を保ってましたが、日本とは「日ソ中立条約」があり、また、ヒトラー率いるナチスドイツの攻勢を食い止めることに全力を傾けていたので、日本に対しては戦争状態にすらなっていなかったのですね。

ま、ノモンハンで一悶着ありましたが。

スターリンとしては、対日戦がアメリカの独り勝ちになるのは避けたいとの目論見があり、また、アメリカを始めとする連合国の意向もあり、秋口に対日参戦を予定していたわけですが、原爆を実戦投入したアメリカは「独力で日本を降伏させられる」との判断に傾きます。慌てたスターリンは、秋口に予定していた対日参戦を前倒しし、8/8 に総攻撃を開始したわけですが、わずか 1 週間後に日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏してしまいました。

これは、どーみてもアメリカの独り勝ちなのですが、それだとエラソーな顔ができないと見た岡田……じゃなくてスターリンは、「実力で」千島列島を支配下に治めることで、千島列島の占領、あわよくば北海道北東部の割譲を狙ったもの、と思われます。

あなたの知らない千島(何

とまぁ、こんな感じで、「占守島の戦い」は、第 2 次世界大戦の終結とともに具現化してきた「冷戦構造」の最初の被害者、という見方ができるのかもしれません。「太平洋戦争」を語る上ではなかなか話題にならない「千島・アリューシャン戦線」ですが、じっくり見てみると、意外と歴史のターニングポイントになる事件が多い印象もあります。もうちょっとだけ、この辺の話を続けましょうかね。

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