2008年5月31日土曜日

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栗林の前に山崎あり、硫黄島の前にアッツ島あり

 


そんな時代もあったのです(またか

千島列島は、今はロシアの実効支配下にありますが、かつて、日本が軍事的にイケてた頃は、日本の領土だった時期もありました。そんな時代もあったのです。

つまり、千島列島が日本領だったということ自体が、軍事的にイケてるニッポンの象徴だった、とも言えます。そして、戦後のどさくさに紛れて「北方領土」問題が未だに解決していないサマも、外交がイケてない国ニッポンを象徴している、と言えるのかもしれません。「外交がイケてない」のは、何とかしたいですよね。

さらに言えば、海産資源が豊富な千島の海は、飽食の国ニッポンの台所に、ぜひ確保したい漁場でもありますね。嘗ては「スパイ行為」(情報提供)の見返りに、ソ連領海での操業を許可された「レポ船」なる存在も多かったと言います。今はどうなのでしょうか。

ひとかっぷ大関

かの「太平洋戦争」においても、ポツダム宣言受諾後の「紛争」とも言える「占守島の戦い」以前にも、千島列島は重要な場面で絡んでいるような気がします(って、数日前に書きましたよね)。例えば、事実上の日米開戦となった「真珠湾攻撃」ですが、海軍の機動部隊がどこから出港したかと言えば、択捉島の人カップ湾、じゃなくて「単冠湾」(ひとかっぷわん)だったと言います。

千島から出撃したのは、人目につきにくいことも然る事ながら、単にハワイへの大圏航路が最短だったから、のような気がします。いや、どっちも重要なポイントですけどね。

大圏航路(大圏コース)の概念がイマイチ不明な方は、リンク先の記事で確認してくださいませ。

ま、てなわけで、かつての日本は、破滅への戦いの第一歩を、択捉島近海から踏み出したのでした。

世界初!?

日本は「太平洋戦争」に敗れ、沖縄や小笠原を始め、少なからぬ「日本固有の領土」を占領されましたが、それでは日本がアメリカの領土を占領したことは無かったのか、という話です。確かに「真珠湾」では、日本軍は、米軍からすれば「めっちゃくちゃ」にやりましたが、あくまで「軍事施設への奇襲攻撃」だけであり、ハワイそのものを占領したわけではありません。ハワイへの上陸に成功したわけでは無いのですね。

しかし、日本軍がアメリカの領土を占領したケースもありました。千島列島の遙か先、アリューシャン列島のアッツ島、キスカ島をこっそり占領していたのですね。アメリカが(まがりなりにも)自国の領土を他国に占領されたケースは、他には無いのではないでしょうか。いや、だったら何? という話ですけどね(笑)。

栗林の前に山崎あり、硫黄島の前にアッツ島あり

そして、質・量ともに優る米軍の反撃を受け、守備隊が絶望的な戦いを繰り広げながら「玉砕」した最初のケースが、アッツ島だったと記憶しています。また、零式艦上戦闘機、いわゆる「ゼロ戦」がほぼ無傷のまま鹵獲され、文字通り「丸裸にされた」のも、アリューシャン列島でのことでした。

アッツ島で日本軍が玉砕した時の司令官が山崎保代(男性)でした。米軍の反攻の前に、アッツ島守備隊は全滅の憂き目にあったわけですが、大本営は「玉砕」という美名で惨めな敗北を美化したのでした。

同じく、絶海の孤島である「硫黄島」を死守する使命を負い、壮絶な戦いの末「玉砕」した「硫黄島守備隊」の総司令官が、ご存じ栗林忠道です。

「奇襲」「進出」「転進」「玉砕」「占領」「領土問題」……。千島列島(とアリューシャン列島)は、メディアなどに取り上げられる機会は少ないですが、様々な局面でターニングポイントになっているのだなぁ、と思いました(まる)。あれ、作文?

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