2008年6月4日水曜日

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薔薇小路棘麿の「影法師」

 


楡の木荘の殺人

河出文庫の「鮎川哲也初期コレクション 1」と銘打たれた「楡の木荘の殺人(にれのき─)」を読みました。実は、随分前に「初期コレクション 2」の「青いエチュード」は読んでいたのですが、「楡の木荘の殺人」のほうは、なかなか入手できずにいたのですね。初版が昭和 61~2 年と言いますから、えーと、二十年と少し前に出版されたもの、になりますね。

「楡の木荘の殺人」には、いかにも鮎川好みの魅力的な題名である掲題作のほかに、「月魄(つきしろ)」「地虫」「雪姫」「影法師」そして藤雪夫・狩久の両名との「リレー小説」の形態を取った「ジュピター殺人事件」が収められています。この「ジュピター殺人事件」を除けば「推理モノ」とは一線を画した小説群ばかりで、「本格推理の鬼」が目覚める前の迷い?が手に取れるようで興味深いです。

もう一冊の「青いエチュード」のほうには、「五つの時計」のような名作から「朝めしご用心」「甌(かめ)」といった珍作まで幅広く収められているので、マニアにはこちらも必見かも。

ちなみに、2002 年に、同じく河出文庫から刊行された「冷凍人間・鮎川哲也名作選」にも、「月魄」「地虫」「雪姫」「影法師」「ジュピター殺人事件」のほか「朝めしご用心」や「甌」も採録されています。こちらのほうが入手が容易かもしれません。

クイーンの色紙

私が、クイーンの……じゃないや。鮎川の作品で一番好きなのは「クイーンの色紙」なのですね。ほんっと大好きなんですが、やっぱ「黒いトランク」や「ペトロフ事件」と比べると、全然評価されることが少ないように思います。

「黒いトランク」や「ペトロフ事件」が読み応えたっぷりの長編なのに対し、「クイーンの─」は短編ですし、ね。でも、短編だからこそ、ミステリーの何たるやが凝縮されていていいと思うのですね。創元推理文庫から復刻されている筈なので、ぜひ一度読んでみてくださいませ!

「黒いトランク」以後の鮎川哲也の作品は、「鬼貫警部」もの、「星影龍三」もの、そして「三番館のバーテン」ものに大別されると言われます。足で稼いで論理を組み立てる鬼貫と、とことんキザでイヤミな超人素人探偵・星影龍三、そして究極の安楽椅子探偵である三番館のバーテン、という図式が成り立ちますが、「三番館シリーズ」では、依頼主たる三流探偵の「わたし」が「足で稼ぐ探偵」という役回りで存在するわけで、ちょうどハイブリッド的な作風と言うのが正しいのかもしれません。

ペトロフ事件

鮎川という人は、父親が満鉄(南満州鉄道)の技師だった関係で、少年時代を満州で過ごしたとされます。その経験があったからこそ、「ペトロフ事件」のような作品を世に送ることができたわけですが、鮎川は、ほかにも旧満州を舞台にした作品を残しています。他ならぬ「楡の木荘の殺人」も、哈爾浜(ハルビン)が舞台になっていましたし、「月魄」もそうでした。

そういえば、どちらも「ほのかなロマンス」が底辺に流れていますね。女性が登場することが少ない鮎川作品にあっては、統計上無視できない偶然のように思えますね。:)

そして、河出文庫「楡の木荘の殺人」の最後に収められている「影法師」も、同じく満州はハルビン(郊外)を舞台にした作品でした。「薔薇小路棘麿」なる売れない推理小説家と偶々喫茶店で同席した「わたし」は、棘麿の奇妙な「思い出話」に付き合わされる羽目になります。

薔薇小路棘麿

棘麿は、背格好が全く同じで、新進のテナー歌手だった白系ロシア人(ロシア革命の際に国を追われたロシア人)のステパーンと同居していました。ステパーンと棘麿は、背格好はおろか、衣服の好みなどもまったく同じだったと言います。

そんなある日、棘麿は赤系ロシア人(ソ連人)のエイゼンステイン氏(そういえば、そんな名前の映画監督がいましたね)と面識ができます。エイゼンステイン氏にはオクチャーブリャ(ロシア語で「十月」を意味する。「十月革命」を意識した命名)という娘がいて、棘麿は強くオクチャーブリャに惹かれます。

ところが、ひょんなことから、白系ロシア人のステパーンと赤系ロシア人のオクチャーブリャが結ばれてしまいます。棘麿はひどく衝撃を受けますが、ほどなくエイゼンステイン氏が娘のオクチャーブリャを伴ってソ連に帰国することが決まり、ステパーンも別の意味で衝撃を受けます。

棘麿と「影法師」

オクチャーブリャが棘麿とステパーンの許を去ってから数ヶ月後、空き家となったはずのオクチャーブリャの家に明かりが灯ります。オクチャーブリャが戻ってきたことを期待したステパーンは、集蛾灯に吸い込まれる蛾のごとく、かつてオクチャーブリャが住んでいた家に向かいますが、そこにオクチャーブリャの姿は無く、あろうことか、苦悶する自らの分身の姿を見て取ってしまいます。

苦悶に打ち震えるステパーンの「分身」は、ついに懐からナイフを取り出し、自らの胸に突き立てて果ててしまいます。それを目の当たりにしたステパーンは、分身の動きに合わせるかのごとく、同じ行動を取り、自ら命を絶ってしまったのです。

棘麿の「思い出話」を聞き終えた「わたし」は、棘麿にいくつかの疑問を投げかけます。棘麿は「わたし」の鈍さを非難するかのごとき口吻でそれに応える、というラストが秀逸な一作です。初期の鮎川が得意としていた「ファンタジー」と「本格推理」が奇妙に融合した、味わい深い作品になっています。

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