2008年6月23日月曜日

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シュペーア的転回

 


見つかりました(・∀・)

BBC のドキュメンタリードラマ「帝国元帥 ヘルマン・ゲーリング」の回が、ひっそりと録画されていたことに気づきました(・∀・)。後でじっくり見ておきます。

シュペーア的転回

さてさて。前回の考察ですが、「シュペーア的転回」は如何にして可能だったのか、ということです。例えば、いわゆる「東京裁判」でも田中隆吉のような「売国奴」的な言動を取る者が皆無ではなかったわけですが、「ヤラセ」説すら出てくる田中隆吉の「裏切り」と比べ、シュペーアの「旧体制批判」は、より徹底したものに思えます。

田中「変節」の最終目的は「国体護持」にあった、という仮説もあるとかで。まぁ、東条英機の「自殺未遂」も、汚名を一身に集めるための「ヤラセ」だ、という好意的な見方もありますからね。

クイーンのカラオケ

シュペーアにとって幸運だったことは、彼と同じくらいヒトラーに近かった人物が、軒並みこの世を去っている、ということもあります。「死人に口無し」と言いますから、極端な話、大っぴらにウソをついても、バレにくい状況にあった、とも言えます。ニュルンベルク裁判で「目の上のたんこぶ」的な存在だったゲーリングも例外ではなく、絞首刑が宣告され、最終的には自殺を遂げています。

例外として挙げるならば、ヒトラーの死後、ナチス・ドイツの 2 代目大統領を務めた……というか、押しつけられたカール・デーニッツあたりでしょうか。デーニッツは有能な軍人だったものの、ナチ党とは比較的距離を置いていたことが幸いしてか、最終的にはシュペーアと同じく禁錮 20 年の刑に落ち着いています。

田中隆吉的嗅覚

面白いことに、デーニッツがヒトラーの後を継いで大統領になる羽目に陥ったのも、シュペーアの口利きがあったから、という説が根強いようです。より正確に言えば、ヒトラーによって次期大統領に指名されそうになったシュペーアが、デーニッツを推薦した、という説ですね。

仮に、この説が真実だとすると、シュペーアという人物は、単なる建築家とするにはあまりに惜しい人物で、政治的な嗅覚にも非常に優れていた、と言えるかと思います。命を惜しんだわけでは無いのでしょうが、後世になって係累に与える影響などを考えると、その「変節」も、実に計算し尽くされた、最善の策だった、と思えてきます。

「あれはドイツではなく『ナチス』だったんだ」

戦後のドイツは、その「戦争責任」に関して、「ナチス」を絶対的な悪として処遇することで体面を保ってきた印象があります。表だって口にすることは無いでしょうが、「いやぁ、俺たちは止めようとしたんだけど、ナチスが暴走しちゃって……。」という言い訳が成り立つような構造ですね。「ドイツ」という国家を否定するのではなく、「ナチス」というドグマさえ否定しておけば良いのですから、好都合と言えば好都合です。

その点、同じ敗戦国でも日本の場合は、「一億総懺悔」キャンペーンを張らざるを得なかったという点で、不利と言えば不利だった、とも言えますね。

実際、敗戦後のシュペーアは、ナチスを骨の髄から憎く思っていたのだと思います。ただ、そこには「踏み絵」としての感情も、また、自己の「変節」を正当化するための心理的な擁壁としての側面も、少なからずあったように見受けられます。

毀誉褒貶相半ば

というわけで、シュペーアに対する私の評価ですが、やっぱ「毀誉褒貶相半ば」です(結局それかよ

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