2008年9月23日火曜日

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北海道の旅 2008/夏 (34) 「強者どもの夢の跡は……夢の中へ」

 

遠い昼ご飯……

さて。屈斜路湖沿いを快適にスルーして、道路のつながり上、再度弟子屈に戻ってきました。そば屋に行こうかどうか迷いながら、結局立ち寄らずじまい。四日続けて、まともな昼飯にありつけない可能性もあると知りながら……。

いや、糠平湖には日没前に着きたかったので、意外と時間が無かったのですね。

ぷじょ乗りさんとの遭遇

国道 241 号線(阿寒横断道路)を西に向けて走っていると、山間部でぷじょ乗りさんに遭遇しました。銀色の 306 で、確か首都圏のナンバーだったと記憶しています。フェリーではるばるやって来られたのですね……。
ぷじょ乗りさんはセオリー通り、国道 240 号と合流する T 字路で、阿寒湖方面に右折して行きました。そういう私は、雄別炭鉱に行こうと思ったので、左折して阿寒川を下るコースを取りました。306 さんとはここでお別れです。

雄別への道

最近、釧路市と合併した阿寒町の中徹別というところで、「雄別は右だよ」という看板を見かけたので、右に回ってみました。

ちなみに、「徹別」は「てしべつ」と読むそうです。tes-pet で「梁の川」なのだとか。弟子屈と同じ「てし」シリーズですね。
うーむ、快適な 2 車線道路が多い北海道にしては、かなり狭いですね……。そうこうしているうちに、事態は悪化の一途を辿ります(笑)。
うわわわ……。ホテル知床への入り口に続き、またもダートに突入です。決して車高が高いとは言えないこの車、サンプガードをつけておけば良かった……なんて。

夢の跡は……今いずこ

てな感じで、あたふたとスロー走行を続けているうちに、何か記念碑の前に辿り着きました。「雄別炭砿記念碑」とあります。
裏側に回ってみましょう。
雄別炭鉱は、昭和四十五年二月に閉山になったのですね。最盛期には「三千有余の従業員」と「二千五百戸の炭住街」を擁したと言いますから、山あいではあるものの、そこそこの規模を誇ったことがわかります。釧路からここまで、石炭の輸送などのために、雄別鉄道が延びていたわけですね。

ところが……です。周りを見回しても、ずーっとこんな風景ばかり。
製材所?があった以外は、人の気配は見あたりません。まぁ、雄別炭坑の場合は、経営母体の破綻が閉山の原因だと言いますから、他の鉱山街とは状況が異なるのかも知れませんが、それにしても……あまりに跡形が無いのには、ただただ驚嘆するばかりでした。

国土地理院の地図へのリンクを用意しました。とくと現状をご覧下さいませ。

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