2008年12月18日木曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

今日は……

 


「兄」の話とか

前にも書いたかも知れませんが…… 800 件近く記事を書いていると、さすがに全部は覚えていないんですよね……私には、兄がいたそうです。漏れ聞こえたところでは、複数いたのだとか。残念なことに、今は「この世」には居ませんし、気の毒なことに、名前も無かったと思います。お墓があるかどうかもわかりません。

私が「この世」にポトっと落ちてきた(笑)時、母親は……えーと…… 36 歳でした。決して高齢出産とは言えませんが、「兄」の件が何度か(何度も?)あったので、どうやら周りも本人も「ラストチャンス」だと考えていたのだそうです。今までの経緯を考えると、いろんな意味で比較的リスクの高い判断だったようにも思われます。

悪いことは続くというか、癖になると言うか。まぁ、そういうことです。わかる人にはわかりますよね。

ちなみに、ドキドキハラハラの中「この世」に出てきたわたくしですが、左手の人差し指にごく軽~い障害があることと、生まれつき呼吸器が弱いとかアレルギー体質だとか言った軽微な事象を除けば、ごくごく健康なお子様でした。今となっては知る由もありませんが、母もとても安堵したことだったでしょう。

ま、そんなわけで

そうそう。今から思えば……という話ですが、日頃の母は、いつも明るく陽気な人でした。ところが、ひとたび私が軽い身体の変調を訴えると、それはもうおかしなくらい心配してくれたものでした。たぶん「成長痛」だったと思うのですが、「関節が痛い」と訴えたところ、「骨肉腫かも知れんで」と言ってレントゲンを撮りに行ったり。もしかしたら、どこの母親も似たようなものなのかも知れませんけどね。

まぁ、そんな私の母も物故して久しいのですが、病床にあったときに、しみじみと「あんたを産んどいてほんまに良かった……」と言われた時には、さすがにグッと来ましたね……。なんか、自分はこの瞬間のために生まれてきたんじゃないかなぁ、なんて思ったものです。

答はおろか、問題すらわからない

誰もが通る道だと思いますが、若かりし頃(笑)は、「自分はなんで生まれてきたんだろう」とか、「何のために生きてるんだろう」とか、一歩間違えると真っ暗な方向に突っ走りそうな悩みを抱えたものでした。「何をやっても楽しくない」という鬱な気分ではなくて、ひたすら疑問に答が見つからないことを嘆き悲しむ、そんな感覚ですね。

「なぜ生きているのか」というのは、多分に哲学的な趣向の問題のようにも思えます。「生きている」のか「生かされている」のか。あるいは、「生きるために生きている」のか「死ぬために生きている」のか。後者は逆説的ですが、かといって前者もテーゼに矛盾を抱えています。

「若かりし頃」には、このような問題のドリルダウンすらできるわけがなく、答が解けない以前に問題すら理解できないという、そんな間抜けな悩みを抱えていたのでした。さらに正確に言うと「問題すら明確に認識できない」といったところでしょうか。完全に認識外であれば、それはそれで幸せなのですが、微妙にぼんやりと見え隠れするという状態だったように思えます。

時がすべてを……

幸い、有島武郎ばりの「生まれいずる悩み」は、無事解決できた……ような気がします。もしかすると耄碌しただけなのかもしれませんが、それも一種の解決策です。後者の問題の答をあえて出すとするならば、「死ぬために生きるために生きる」といったあたりでしょうか。ズルいでしょうか? でも、それも、年齢とともに獲得する「知恵」であったり「能力」なのかも知れません。

まぁ、たまにはこんなプライベートな文章もいいかな、なんて思いながら綴ってみました。今日は、年に一度の区切りの日。改めて母親に感謝するのも悪くはありません。Grazie, mio madre !

前の記事次の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

最近の記事

    スポンサーリンク