2009年1月23日金曜日

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ローラン・ギャロスとレユニオンの変遷

 


「銀と閣下の穀潰し」は面白かったです

随分と久しぶりに Maurice White の "Stand By Me"(アルバム)を聴いています。確か 1985 年の作品ですから、Earth, Wind & Fire としての活動に行き詰まった時期にあたりますね。意識的にシンセサイザーを取り入れ……というか迎合しようとしていた様が見て取れるので興味深いです。1980 年代における音楽の流行の変遷には、モーリス・ホワイトも色々と苦悩していたのでしょう。彼の額が急速な拡大を遂げたことの一因と見てもいいような気もします。

"I Need You" なんかを聴いていると、それなりに、うまくいっていたような気もしますけどね。

ニコ厨の姿は見あたりませんでしたが(←

さて、今日はお茶の水周辺を散策していました(歩いていただけですけど)。まぁ、お茶の水博士はおろか、お茶の水女子大学も見あたらなかったんですけどね(当たり前)。代わりに見つかったのが「ニコライ堂」。略すと「ニコ堂」になってなんかいやーんな感じです(だったら略すな)。

ローラン・ギャロス

さて(またか)、「ニコ堂」(略すな)の近所で緑色の Peugeot 206 を見かけました。そう言えば、緑色の「プジョー 206 ローラン・ギャロス」というモデルがあったなぁ、なんてことを思い出したり。ローラン・ギャロスと言えば、その……あの……アレですよね?(どれ?)

スタッド・ローラン・ギャロス(Stade Roland Garros)はフランス・パリの名所「ブローニュの森」にあるテニス競技場(テニスコート)。毎年 5 月から 6 月にかけて開催される、テニスの 4 大国際大会(グランドスラム)の 1 つ全仏オープンの会場でもある。
(Wikipedia 日本語版「スタッド・ローラン・ギャロス」より引用)

"Stade" はイタリア語の "Stadio" の意味……かと思ったら全然違うようで。英語の "Stage" にあたるそうです。ですから、「ローラン・ギャロス劇場」とでも訳すのがいいのでしょうか(←

さて、この「ローラン・ギャロス」ですが、第一次世界大戦におけるフランスの撃墜王パイロットだった Roland Garros に由来するのだそうですね。

ローラン・ギャロス(Roland Garros, 1888 年 10 月 6 日 - 1918 年 10 月 5 日)は、インド洋のフランス領レユニオン出身のフランスの飛行家。世界で初めて地中海横断飛行に成功した。第一次世界大戦でのエースパイロットである。
(Wikipedia 日本語版「ローラン・ギャロス」より引用)

フランス領レユニオンの変遷

フランス領レユニオンってのがどこだかさっぱりわかりませんね……。

レユニオン(Réunion)はフランス共和国の海外県ならびに海外地域圏(レジオン)である。マダガスカル島東方のインド洋上に位置する。面積 2,512 平方キロ、人口 720,294 人。コーヒーの原種の一つブルボン種の原産地とされる。県都はサン=ドニ。
(Wikipedia 日本語版「レユニオン」より引用)

ふむふむ。ミホノブルボン王朝成立でしょうか(違う)。

歴史

1507 年 ポルトガル人がこの無人島を「発見」。
1640 年 フランス人が上陸してフランス領と宣言。
1642 年 ルイ 13 世によってブルボン島と命名されたが、ブルボン王家を打倒したフランス革命によってラ・レユニオン(La Réunion)と改名された。その後、1806 年に皇帝に媚を売った提督によって「ボナパルト」島、イギリス占領時(1814)に「ブルボン」島、1848 年 に「レユニオン」島と、呼称が何度も変わった。
(Wikipedia 日本語版「レユニオン」より引用)

ぎゃははは……って、笑うのは失礼かもしれませんが、でも、何だか気の毒なくらいおかしな変遷をたどっていますね。ローラン・ギャロスはこの「レユニオン島」に生まれ、フランスのエースパイロットとなり、死してパリのテニスコートに名を残したわけで……。世の中何がどう転ぶかわかりませんね。

テニスと戦闘機パイロットのつながりが良くわかりませんが、それはそれ、これはこれということで。

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