2009年4月6日月曜日

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大阪大空襲の夜、地下鉄は走ったのか?

 


一級品のミステリィ

久しぶりに、一級品のミステリィに出会ったような気がします。

プロットは実に簡単です。太平洋戦争の末期、大阪大空襲で焼け出された人々が、地下鉄(御堂筋線)の電車に乗ってミナミ(心斎橋)からキタ(梅田)に避難したという、それだけの話です。では、果たしてこの話のどこがミステリィなのか。

実は、「大阪大空襲の夜、地下鉄に乗って避難した」という経験を持つ人が多数いるにも関わらず、「地下鉄を動かして避難民をミナミからキタに輸送した」という人が誰一人としていないというのです。つまり、空襲で焼け出された人を梅田に運んだ電車は「幽霊電車」だった、ということになってしまいます。

3/13~14 の大阪大空襲

Wikipedia の「大阪大空襲」の項には、次のような記述があります。

地下鉄による避難

3 月 13 日、14 日の大空襲は深夜に行われたため、地下鉄の駅の入り口は鉄扉で堅く閉ざされていた。しかし、難波、心斎橋は猛火に包まれており、既に避難の術がなかった。そこで、乗務員の機転により、地下鉄の駅を開け、急遽梅田方面(梅田方面は被害を受けていなかった)へ電車を運行し、人々を避難させた。これによって、300 - 400人の人々の命が救われたといわれている。当時、地下鉄の職員はまだ徴兵されていない勤労学生が多く、女性乗務員も少なくなかったという。若者らしい、杓子定規に囚われない行動が多くの人命を救ったのだった。

この事実は、大阪市の公式な文書には記載されず、戦後長らくその詳細が不明であったが、1980 年代後半になって新聞の投書欄に話が出たのをきっかけに証言者が現れ、日の目を見ることになった。
(Wikipedia 日本語版「大阪大空襲」より引用)

この記述のネタ元ですが、もしかしたらフジテレビが製作した「NONFIX: 千の風プロジェクト 大阪大空襲の夜 地下鉄は走ったのか」かも知れません。まぁ、かくいうこの記事のネタ元でもあるので、あまり大層なことは言えないわけですが。

乗務員の機転による「幻の電車」は事実か

さて、Wikipedia の記事でも、あるいはリンク先のフジテレビのページでも「乗務員の機転により──電車を運行し」「多くの人を助けた少年達がいた」と、勤労学生たちの機転で多くの人が救われた──というストーリィになっていますが、これは果たして事実なのでしょうか。

もし、これが事実なのだとしたら、独断で地下鉄に電車を走らせたことになります。これはおそらく何らかの内規違反になるでしょうから、それを忌み嫌って誰も名乗りでない……という推測もできなくはないですが、何かおかしい気がします。

では、なぜ誰も名乗りでないのか

「地下鉄のおかげで助かった」と戦後数十年経っても感謝の念を忘れない人がいる一方、当時の地下鉄乗務員は口を揃えて「(大空襲の夜も)何も変わったことはしていない」「電車を勝手に運行できる筈がない」と言います。

そして、もし、一部の乗務員の独断で列車を走らせたのだとしても、戦後五十年も経てば当時の勤労学生も定年を迎えている筈です。いまさら内規違反を云々することは無いでしょうし、仮にあったとしても、世間がそれを許さないでしょう。

つまり、独断で地下鉄を走らせた人たちがいたのだとしても、誰一人として名乗り出ない、というのはあまりに不自然だと思うのです。

食い違う証言、符合を見せる証言

戦後六十年を過ぎた今、「地下鉄に乗って避難した」経験者の体験談も、ところどころに食い違いを見せていると言います。「地下鉄の入り口は閉まっていた」と回想する人もいれば、「入り口は開いていた」と証言する人もいます。また、「ホームにはそれほど人はいなかった」と言う人もいれば、「ホームはラッシュアワーのようだった」と語る人もいます。ただ、「心斎橋から梅田まで地下鉄で避難した」という証言だけはぶれることが無いといいます。

……うん、結構なボリュームになりましたね(引用もあるけれど)。あんまり長いと読む方も疲れると思うので、続きは明日にしましょうか。→ つづき

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