2009年5月17日日曜日

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極東国際軍事裁判は茶番だったけど無意味じゃなかったと思うよ

 


極東国際軍事裁判は茶番だったか

戦犯(戦争犯罪人)についての TV 番組を見て、今更ながらにちょいと思うところがあったので、ちょっとメモ代わりのネタを。

メインディッシュは極東国際軍事裁判(いわゆる「東京裁判」)なんですが、これはいろんな意味で考えさせられる裁判だったように思います。具体的に突き詰めると、あれはマトモな裁判だったのか、それとも茶番だったのか、という二者択一になります。

「茶番」であることを証明するためには、裁判としての不備を突けば良いのだと思いますが、例えば「平和に対する罪」という罪状で起訴すること自体、「事後法」のそしりを免れ得ないわけなので……、あれ、茶番決定?

世界の意見から

ちょいと Wikipedia さんのご意見も伺っておきましょう。

評価
極東国際軍事裁判は戦勝国が敗戦国を裁くという構図であったため、その評価については議論の対象になることが多い。

この裁判では原子爆弾の使用など連合国軍の行為は対象とされず、証人の全てに偽証罪を問わなかった。また、罪刑法定主義や法の不遡及が保証されなかったのも明らかである(確かに「平和に対する罪」はどのように考えても事後法であり、事後法である以上法治主義の根本原則に違反している)。こうした欠陥の多さから、東京裁判とは「裁判の名にふさわしくなく、単なる一方的な復讐の儀式であり、全否定すべきだ」との意見も珍しくない。
(Wikipedia 日本語版「極東国際軍事裁判」より引用)

とりあえず、日本ではこのような評価を下す人が多い、といった感じでしょうか。

英語版の "International Military Tribunal for the Far East" の記事なんかを見てみると……。

Criticism
The IMTFE was the target of many of the same criticisms as the Nuremberg Trials, including the ex post facto nature of the IMTFE. Some critics argue that the trial was victor's justice; others argue that the trial was essentially a legal procedure to exonerate the imperial family from criminal responsibility.

Some Japanese scholars such as Professor Ushimura Kei of Meisei University question the validity of the judgment of the Tokyo Trials.


Composition of prosecution team
It is also argued by some, such as Solis Horowitz, that IMTFE had an American bias, because unlike the Nuremberg Trials, there was only a single prosecution team, which was led by Joseph B. Keenan, an American, although the members of the tribunal represented eleven different Allied countries.
(Quoted from Wikipedia, "International Military Tribunal for the Far East" )

「IMTFE って何だろ……?」と首をかしげていたのですが、"International Military Tribunal for the Far East" の略でした。:-)

んー、一応 "including the ex post facto nature"(「事後法」と取れるものを含んでいた)とか "victor’s justice"(勝者の裁き)といった表現が見て取れますね。少なくとも、「茶番と取られても仕方が無い」といったニュアンスが感じて取れます。

ちなみに、Professor Ushimura Kei of Meisei University って誰だろ? と思ったのですが、どうやら日文研の牛村 圭氏のことのようです。

極東国際軍事裁判は茶番だったみたいだけど

ま、そんなこんなで、後世に「茶番」と言われかねないような(いや、現に言われているわけですが)えーかげんな裁判をやっちゃった理由(必然性)についてちょいと考えてみました。

その場の勢い説(その場のノリ説)

ようやく、真珠湾にて「だまし討ち」をやらかしてくれた憎っくき「ジャップ」を(事実上の)無条件降伏に追い込んだわけで、アメリカさんがノリノリだったことは想像に難くありません。ノックアウトしたボクサーに敗因をインタビューして悦にいるような、優越感に浸りたくなっても不思議は無いでしょう。

パフォーマンス説

「正義の味方」(謎)としては、「我々が『悪の帝国』を滅ぼした!」とアピールする場が必要だったと考えられます。これはもちろん世界各国へのアピールも重要だったでしょうが。アメリカやオーストラリアの一般大衆向けのアピールもより重要だったと思われます。日本は日露戦争後にこの辺を怠ったから、「日比谷焼打事件」のような事態を招いたのだ……とも言えるでしょう。

「一事不再理」のため説

刑法には「一事不再理」という概念がありますので、どんな内容であれ、相手(日本)がヨレヨレになっている間に判決を纏めちゃえば万事おっけー、という考え方です。マッカーサーは「天皇は訴追せず」という原則で日本の占領統治を進めようとしていましたが、諸外国からは「天皇の戦争責任を追及しろ!」という声も強かったわけで、その辺をテケトーにちょいちょいとうまくやるためには、さっさと「茶番」を進めてしまうのが、いろんな意味で都合良かったと思われます。

なので……、「東京裁判」は、茶番だったけど、無意味では無かった、と言えるような気がします。いろいろと難しい問題を抱えてしまったのも事実だとは思いますが、やらないよりはやったほうが良かった、というか、やらざるを得なかった、といったところでしょうか。

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