2009年6月13日土曜日

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Google Earth で見る「消えた札沼線」の跡

 

今は「学園都市線」なんて言ったりするそうですが

北海道には、奈良県の十津川村から入植した人が多く居住したということで「新十津川」と名付けられたところがあり、札幌から新十津川(終点)までは、JR 北海道の「札沼線」(さっしょうせん)が走っています。じゃあ、札沼線の「沼」って何? という疑問が出てくるわけですが、それは札沼線の当初の終点だった「石狩沼田」に由来するらしいです。つまり、新十津川から石狩沼田までは国鉄時代に廃止されてしまった、ということなのだとか。

ちょいと Wikipedia の記事をコピペしてみますと、

太平洋戦争が激しくなると不要不急線として、1943 年(昭和 18 年)から 1944 年(昭和 19 年)にかけて石狩当別 - 石狩沼田間が休止された。
(Wikipedia 日本語版「札沼線」より引用)
来ましたね、不要不急路線。

戦後は 1946 年(昭和 21 年)に石狩当別 - 浦臼間が復活したのに続いて 1956 年(昭和 31 年)までに全線が復活したが、営業成績は振るわなかった。
(Wikipedia 日本語版「札沼線」より引用)
なるほど。戦後の復興とともに、いったんは全線復活したんですねー。

1968 年(昭和 43 年)には「赤字 83 線」に廃止すべき路線としてその名をあげられ、その取組みの中で新十津川 - 石狩沼田間が 1972 年(昭和 47 年)に廃止された。
(Wikipedia 日本語版「札沼線」より引用)
ふむふむ。「赤字 83 線」の取り組みで廃止されたということは、廃止された数多くの国鉄線の中でも、随分と早期に廃止されたということになります。もう 40 年近く前の話になりますね。

この時の廃止区間は 34.9 kmで、赤字 83 線における 1 路線の廃止距離としては最長だった。廃止区間の線路跡は農場の整備によってほとんど痕跡をとどめておらず、わずかに一部の駅の周辺に面影をしのぶのみとなっている。
(Wikipedia 日本語版「札沼線」より引用)
そりゃあそうでしょうねー。例えば 1987 年に全線が廃止された広尾線なんかだと、それなりに空中写真からも跡を追えたりするものですが、1972 年では……。

Google Earth で見る「消えた札沼線」の跡

参考までに、Google Earth からゲットした、2006 年の空中写真(新十津川駅周辺)を見てみましょう。
この、ピンク色の部分が 1972 年に廃止された部分ですが、2006 年現在ではどうなっているかと言うと、
こんな感じです。なーんとなく線が見えるような気もしないでもないですが、整然と区画整理されて、まったく見る影もなくなっているところが殆どです(特に、写真上部のあたりとか)。

実験「安楽椅子考古学者」

さて。「ほとんど痕跡をとどめておらず」と称される「札沼線の跡」を、どうやって探し出しましょうか、というのが今回のテーマです。イスに座ったまま「事件」を解決してしまう探偵のことを「安楽椅子探偵」(英:Armchair Detective)なんて呼んだりしますが、果たしてフィールドワーク無しで調べ物をする「安楽椅子考古学者」は成り立つのかどうか。明日はその苦闘の軌跡を追います(ぇ

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