2009年7月22日水曜日

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ソビエトロシアでは、ロケットがコロリョフを飛ばす!

 


死が二人を分かつまで

さぁて。船や飛行機といった大量輸送機関が遭難した場合、決まって出てくるのが「運良く難を逃れた人たち」の話題です。例えば、1983 年 9 月 1 日の「大韓航空機撃墜事件」では、ジェシー・ヘルムズ上院議員(当時)が何の因果か 007 便に乗ることができず、結果として難を逃れた、なんて話がありました。一方、ヘルムズと行程を共にする予定だったラリー・マクドナルド下院議員は、007 便に乗り合わせ、サハリン沖で海の藻屑と消えてしまいました。

超大物・登場!

とまぁ、こういった話がどうしても出てくるわけですね。何もかもが秘密のヴェールに包まれたインディギルカ号でも、何と、超大物が難を逃れていたのでした。その男の名はセルゲイ・コロリョフです!!

……あれ? 有名……じゃないですか? ソ連の有名人トップ 100 をカウントダウンすれば、87 位くらいには来るかと思っているのですが……。

セルゲイ・パーヴロヴィチ・コロリョフ(ウクライナ語:Сергій Павлович Корольов;ロシア語:Сергей Павлович Королёв;1907 年 1 月 12 日[o.s. 1906 年 12 月 30 日] - 1966 年 1 月 14 日)は、ソビエト連邦の最初期のロケット開発指導者。
(Wikipedia 日本語版「セルゲイ・コロリョフ」より引用)

そう、あのコロリョフです。

第一設計局 (OKB-1) の主任設計者として世界初の大陸間弾道ミサイル (ICBM) である R-7 を開発した。R-7 は核弾頭をペイロードや宇宙船に替えて宇宙開発にも使用され、1957 年に世界最初の人工衛星スプートニク 1 号を打ち上げ、1961 年には世界初の有人宇宙飛行としてユーリイ・ガガーリンを宇宙に運んだ。アメリカのヴェルナー・フォン・ブラウンと並ぶ米ソ宇宙開発競争の双璧だった人物である。
(Wikipedia 日本語版「セルゲイ・コロリョフ」より引用)

そう、スプートニク 1 号やボストーク 1 号の成功は、彼の存在を抜きにして語れない……と思う……エライ人です。

シベリア流刑
1933 年には最初の液体燃料を用いるロケットエンジン開発に成功し、新設されたジェット推力研究所の所長になった。1938 年 7 月 22 日、新ロケットの開発に難航する中、他の研究所メンバーと共にソ連内務人民委員部 (NKVD) に逮捕された。先に逮捕されていたヴァレンティン・グルシュコの告発による冤罪である。

容疑はテロ組織への関与と研究遅延・怠慢による国家資源浪費であった。尋問の際には顎をひどく骨折するほどの暴行を受け、自白を強要された。10 年の刑を受けてシベリアのコルィマ鉱山にある強制収容所に送られた。過酷な環境の中で壊血病を患い、症状はひどく悪化したため全ての歯は抜け落ち、心臓病に苦しんだ。
(Wikipedia 日本語版「セルゲイ・コロリョフ」より引用)

出ましたね、「コルィマ鉱山」(「コリマ鉱山」のことです)。コリマ鉱山とは、マガダンから山を越えた北極海側に位置する金鉱のことです。極北の地で良質の労働力を確保することは容易ではなく、囚人による強制労働で生産性を高めようと考えていたソビエト政府の思惑のもと、コロリョフも讒言によってマガダン送りにされたのでした。

コロリョフはその後 8 年へ減刑され、モスクワにある強制収容所内の特別研究所に移され、かつての同僚でシベリア流刑のきっかけとなったグルシュコと共に再び戦闘機・爆撃機開発に従事した。コロリョフの罪が免除されたのは 1944 年だった。
(Wikipedia 日本語版「セルゲイ・コロリョフ」より引用)

コロリョフの罪が免除されたのが 1944 年で、インディギルカ号が遭難したのは 1939 年ですから、少々年次が合わないようにも思えますが、「モスクワにある強制収容所内の特別研究所に移され」とありますから、そのためにインディギルカ号に乗ってウラジオストクに戻るつもりだったのでしょう(ウラジオストクからモスクワまでは、シベリア鉄道で移動できます)。

一方通行の愛(← 違うだろ

ナチスドイツにて V2 ロケットなどの開発に従事し、ドイツの敗戦後はアメリカに渡ってアメリカの宇宙開発をリードしたヴェルナー・フォン・ブラウンの名前は広く世に知られていますが、米ソの「宇宙開発競争」にて何度もフォン・ブラウンを出し抜いたコロリョフの名前は、生前は全く知られることが無かったと言います。

ですから、フォン・ブラウンはコロリョフというライバルの存在をついぞ知ることが無かったと言われますが、一方のコロリョフは、アメリカ宇宙開発の父として名高く、メディアなどに取り上げられることの多かったフォン・ブラウンの存在を良く知っていたのだそうです。何と言っても本物のコンコルドよりも先にデッドコピーを作り上げることができるお国柄ですから、さもありなんと言った感じでしょうか。:)

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