2009年8月6日木曜日

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「ケチ・カス運河の全て」 Another Night (←

 

気になる(なりません)「ケチ・カス運河」の現状を鋭く探る第二夜です(←

путеводитель どぞ

http://bell.tomsk.ru/about/screen.htm には、なにやらパンフレットをスキャンしたものが掲載されています。путеводитель とあるのは、Travel Guide だそうです。
こっそり(←)直リンとかしてみましょうか。

http://bell.tomsk.ru/about/screen.htm よりお借りしました)
そう、ケチカス運河(← ナカグロが無いだけでより哀れに)はとりあえず 1891 年に完成するも、1921 年には早くも運河としての役割を終え、今ではカヌーを楽しめる観光地として絶賛売出し中……といった感じみたいです。

история(いすとーりゃ?)

改めてケチカス運河の歴史をば。

History
The canal was built in a period between 1882 and 1891, but was too shallow and narrow to compete with the Trans-Siberian Railway.
(Quoted from Wikipedia, "Ob-Yenisei Canal" )

「シベリア横断鉄道に対抗するには狭く浅すぎた」とあります。

Plans to improve the canal were considered around 1911, but were abandoned due to the beginning of the First World War. The canal was severely damaged during the Civil War, and closed for navigation in 1921.
(Quoted from Wikipedia, "Ob-Yenisei Canal" )

「1911 年頃には拡張の計画もあったが、第一次世界大戦の勃発と共に計画は放棄された。運河はロシア内戦で深刻に破壊され、1921 年に運用が停止された」とありますね。うーん、なんかとことんツキにも見放された感がありますね。しかも、半年は凍っていたといいますし。

The canal was used one more time in 1942, when three steamboats and a cutter managed to make their way from the Yenisei to the Ob, but the passage was extremely difficult.
(Quoted from Wikipedia, "Ob-Yenisei Canal" )

「運河は 1942 年に再び使用された。3 隻の蒸気船と 1 隻の小型船がエニセイからオビに向かったが、通過は極限までに困難を極めた」とあります。

1942 年と言えばスターリングラード攻防戦が行われていた頃で、極東では(悪名高い)「日ソ中立条約」が締結された後ですから、極東の戦力を対ドイツ戦に次々と投入していた時期です。シベリア鉄道の輸送力不足を補う意味で、再びスポットライトが当たったのでしょうが、結論を言えば extremely difficult だった、ということですね。

One More Night...♪

うむ。これだと第三夜もありそうな雰囲気になってきました。行ったことも見たことも無い場所をネタに良くこれだけ引っ張るなぁ(←

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