2009年8月12日水曜日

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永遠の謎

 


バックナンバーのご紹介

一昨年あたりからは、年イチの更新になっているこの話題ですが、実はなんだかんだで言いたいことはおおよそ書けているので、そろそろまとめに入ってもいいのかな、と考えています。

というわけで、バックナンバー(←)はこちら。

壊れた大型連載、スタート (ぇ
それは、糸が切れた凧のように空を舞った
ボーイング 747 の設計者は、「現実」に敗北した
仮説は作られたシナリオか、ステージを彩る壮大なストーリーか
理に適ったウソと不自然な真実
不明点の整理 (1)
不明点の整理 (2)
迷走する機体、そして迷走する現場

加藤寛一郎氏の「壊れた尾翼」への批判

日航 123 便が墜落してから、もう 24 年もの月日が経ちます。いや、まだ 24 年しか経っていないのかも知れません。何だか複雑な気分ですが、ちょうど前日に祖父が逝去していたので、「まだ 24 年しか経っていないのか」という気分になったのだと思います。

本題に戻りましょう。私がこの事故についてキーを叩くきっかけになったのは何だったか、という話です。もともとは、加藤寛一郎博士の「壊れた尾翼」という本を読む機会があったのがきっかけでしょうか。理路整然としながら、とても「読ませる」加藤流の文章に惚れ込んだわたくしは、何度もハードカバー本を読み返した記憶があります。

ただ、基本的に事故調(運輸省事故調査委員会)の見解を追認する形となっていた「壊れた尾翼」に対して、藤田日出男氏に代表される「現場」からの批判も少なからずあったとされます。実際、加藤氏も文中にて、自らが「ポリティカルに動く人」と批判されたことを「これほど悲しかったことは無い」と記していました。当時、加藤氏は東大で教鞭を執っていたわけで、「現場」からは「御用学者」という目で見られたとしても仕方がなかった、とも言えます。

そんなこともあってか、この事故を扱った書物の中では、「壊れた尾翼」は思ったほど全幅の信頼を得られていない、ということがだんだんと判ってきました。ただ、これは加藤氏の著作への批判というよりは、事故調がまとめた報告書への不信感が根底にある、と考えられます。そんなところから、素人目には取り立てておかしいとは思えなかった「事故調の報告書」のどこがおかしいのか、興味を惹かれた、といったところもあったでしょうか。

「作られた事実」を語る「野心的な代物」

あと、より強い動機付けになったのが、「自衛隊 or 米軍による練習機の衝突説」でしょうか。もし、その話が本当として、現在に至るまで真実が隠蔽されているというのであれば、これは大変なスキャンダルです。日本国民の大半が欺かれているわけですから。

なので、「陰謀説」の本も何冊か手にとって読破してみました。一冊は明らかに「悪い冗談」としか言い様のない代物でしたし、もう一冊も、「作られた事実」といった印象を受けました。どちらも「野心的」な代物、とも言えるかと思います。

一介の素人には「真実」を掴む力は無いにしても、「商業的な成功」をもくろむ者たちによる「事実の捏造」には黙っていられない、そんな気持ちもモチベーションになっていたのだと思います。

永遠の謎

そろそろ、まとめに入らないといけませんね。

結局、最大の謎は 18:27 頃にボイスレコーダーに記録された「ドーン」という音の正体でしょう。事故調の見解では「金属疲労による後部圧力隔壁の破裂」がそれだとされ、「隔壁の裂け目から、客室内の与圧された空気が噴出して尾翼を破壊した」となっていますが、この推論に対しては藤田日出男氏を始めとする方々から辛辣に批判を浴びました。

私自身も、理性的に考えると、この推論には不自然な点が多すぎるように思っています。その点、「外部から力がかかった」(= 何らかの物体と衝突した)と考えると、少なくとも様々な事象をより合理的に捉えることができます。

では、日航機は本当に「何か」と衝突したのか。衝突したのだとすれば、それは何か。さすがに「陰謀説」に与するつもりはありません。もしかしたら隕石でも衝突したのか、あるいはまさかのスペースデブリか。こういった説は私のオリジナルではなく、実際に事故の直後から何度も唱えられていた説ではありますが、最大の難点は証明が極めて困難である、ということです。

墜落地点の特定を巡る迷走や初動救助の遅れなど、いわゆる「陰謀説」ではこれらの動きを「意図的なもの」とする向きもありますが、この考え方には否定的です。関係者は最善を尽くしたと信じていますし、実際、そうだったと確信しています。もちろん、改善すべき部分は山ほどあったわけですが、それらは全て後になってから言えたことです。

「普遍的なリスク」を隠すための「意図的な懺悔」

事故調はなぜ矛盾に満ちた報告書を作成したのか、また、ボーイングは何故、異例とも言える「修理ミス」をあっさりと認めたのか。これらは、「事故機特有の事故原因」を用意する必要があったから、ではないでしょうか。適切な喩えかどうか自信は無いですが、平たく言えば「リコール隠し」に近いものがあったのではないか、と。

結果から言えば、機体後部の破損により、本来四重に冗長化されている筈の油圧系統があっさり全滅してしまった、となります。その結果が 30 分にわたる迷走であり、墜落だったわけです。こういった「想定外の事故」が「原因不明」のままだとすると、下手をすれば「耐空証明の取り消し」といった事態になりかねなかったのでは……と想像したりもしました。

「耐空証明」が取り消されてしまうと、問題のあった部位を改善しないかぎり、再び営業飛行することができなくなります。機体後部の油圧システムをイチから再設計して再び耐空証明を取るまで、すべてのボーイング 747 を飛行停止にする、ということが現実のものとなってしまっては、その損害ははかり知れません。それを避けるための「ちょっと無理のある報告書」だったのではないかと、今は思っています。

長文をご覧頂き、ありがとうございました。

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