2009年12月7日月曜日

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「『特攻』と日本人」

 


保阪正康の「『特攻』と日本人」(講談社現代新書)をようやく読了しました。新書ですし、ページ数も「あとがき」を含めても 227 ページしか無いわけで、その気になれば一晩で読める筈の分量なんですが、どうにも読書感が良く無いというか、居たたまれなくなるというか……。内容が内容ですから、仕方が無いところなのですが。

まぁ、簡単な書評などは、いずれ日を改めて「Bojan の本棚」にでも収めておこうと思うのですが、意味深な題名の割には、内容はごくごく真っ当なものでした。動員学徒は苦悩を胸中に秘めたまま、あるいは「無」の心境で敵艦に突撃していった、という論調を、動員学徒の遺稿などから紡ぎ出していました。「右」寄りの論者にしてみれば、あまり面白くない作風?かも知れません。

ただ、保阪の論調が「戦争反対!」「平和憲法バンザイ!」的な、ともすれば脳天気的なものかと言えば決してそんなことは無く、例えば半藤一利などとの共著も何点か見られるように、リベラルかも知れないけれど現実的な視点も持ち合わせている論者のひとりだ……と思っています。

「腐れジャップ」はいかにして「人間以下」に成り下がったか

そんな保阪の「『特攻』と日本人」ですが、読み進めていって新たに得た知見として、「出撃イコール『死』」という「特攻」の考え方は、アメリカ人の不意を突いたということと、兵卒に「生還を期さない戦闘を強いる」という悪劣なやり口から、日本人に対して文字通りに「人間以下」という評価を下した、というものがありました。

思えば、「遅れてきた一等国」、今で言えば BRICs に近い位置づけだった筈の極東の小国が、何を思ったかハワイは真珠湾の太平洋艦隊を奇襲攻撃したのが全ての始まりでした。そのおかげでアメリカ人の対日感情は「憎悪と不信感の塊」になり、"Remember Pearl Harbor" の合い言葉の元、航空機を大量生産して、学生が大挙して志願したと言います。その頃は、「にっくきジャップを懲らしめてやるんだ」といった気持ちでは居たのでしょうが、まだ「人間扱い」されていた、とも言えたかと思います。

悲劇的なまでの立ち位置の錯誤

米兵の「対日本人感」が変わってきたターニングポイントとして、保阪は「ガダルカナル島攻防戦」を上げています。兵站を断たれた日本兵は飢餓に苦しみ、「ガ島」ならぬ「飢島」などとも言われますが、圧倒的な火器を備え付けた米軍陣地に向かって、銃剣を掲げて一斉突撃してくる日本兵の姿が彼らにはどう見えたのか。おそらく「無意味な自殺行為」としか見えなかったのではないでしょうか。

開戦直後は太平洋上を荒らし回った「ゼロ戦」でしたが、米兵の中には「『ゼロ戦』は実はドイツ製で、パイロットも全員ドイツ人だ」なんて説もあったのだとか。これは「野蛮人の『ジャップ』にあんな戦闘機が作れる筈がない」という偏見も働いたと言いますが、やがては日本の技術力を「侮りがたし」と思わせることになった筈です。

しかし、ガダルカナル島での「肉弾突撃」やレイテ沖海戦以降の「体当たり戦法」を見せられるにつれ、「人命軽視」の日本軍のやり方が、やがてはアメリカ人の日本人全体に対する「人としての尊厳」を見失わせ、事実上の「無差別爆撃」とも言うべき都市部への空襲や、史上稀に見る「人道に対する大罪」とも言うべき「原爆投下」に向かわせた……という指摘は、大変悲しいことに反駁に苦しむものです。

非難されるべきは人命を軽視した戦争を指導した「指導者」「指揮官」であり、現場の兵卒や軍属の方々を貶める意図は全く無い、という点をご理解頂ければと思います(もちろん「指揮官」の中にも少なからぬ人格者があったことも存じております)。

そして今日は

「真珠湾攻撃」から、今日(日本時間だと明日ですが)で丸 68 年です。現代に生きる私たちとしては、馬鹿な指導者マスコミに煽動されることのないようにありたいものです。(文中敬称略)

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