2009年12月27日日曜日

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北の丸公園から西へ

 

お勤めご苦労様です

ワーグナーの「タンホイザー序曲」を聴きながら北の丸公園を歩いていたのですが、結構な数の青白の車が……。
この日は天皇誕生日だったのでその所為か、それとも日頃からそうなのか、果たして実際はどうなんでしょうか。遠目からさりげなく撮影です。

これは誰?

馬に跨った軍人さんの銅像が。パッと思いつくのが乃木希典で、というか乃木以外誰も思いつかなかったのですが、手前にあった説明を見ると……。
「北白川宮能久親王銅像」なのだそうです。

弘化四年(一八四七)伏見宮邦家親王の第九皇子として御誕生。嘉永元年(一八四八)青蓮院宮御相続、安政五年(一八五八)輪王寺宮御相続、公現法親王(俗名能久)と称せられ、上野寛永寺の門跡となられる。明治三年(一八七〇)還俗して伏見宮に御復帰、軍籍に就かれた。同年勅令によりプロシヤ国留学を命ぜられ、同国歩兵・砲兵聯隊、参謀学校等で兵学を学ばれ、明治十年御帰朝、近衛歩兵聯隊御隊附。御留学中の同五年北白川宮を御相続遊ばされた。同十七年陸軍少将に任ぜられ、第六・第四師団長を御歴任、同二十八年一月近衛師団長に親補せられ、近衛師団を率いて台湾に御出征、炎熱瘴癘の地で疫病に罹らせ給い、明治二十八年十月二十八日(一八九五)台南に於て薨去遊ばされた。御年四十九歳。陸軍大将に任ぜられ、大勲位菊花章顕飾および功三級金鵄勲章を賜わり、国葬を以て豊島岡陵に御埋棺された。
(写真の案内板より引用)
ちなみに「瘴癘」は(しょうれい)とルビが振ってあったので無事変換できたのですが、こんな意味なのだそうです。
あ、それと「金鵄勲章」が読めなかったのは内緒の方向でお願いします(正解は「きんしくんしょう」)。

なお、結論から言えば、全然知らない人でした。orz

東京国立近代美術館工芸館

北の丸公園を抜けて、西の方に歩いていくと、なにやら立派な煉瓦造り(風?)の建物が見えてきます。
これは「東京国立近代美術館工芸館」なのだそうです。ちなみに英語では "Crafts Gallery - The National Museum of Modern Art, Tokyo" なのだとか。英語にしただけでモダンな(←)雰囲気になるのが何とも言えません。
別アングルからもう一枚。手前になにやらせり出しているのは美術館とは何ら関係無く、
首都高関連の何か、のようです。閑静な場所のように思えて、実際は地下を車がじゃんじゃん通っている、ということですね。

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