2010年1月7日木曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

関所を避けるのは近代に始まったことではなく

 


好きこのんで遠回り

えー、今更ですが地図を用意しました。


(クリックで超・原寸大系です)

赤くマーキングしたルートが「天竜浜名湖鉄道」(旧・国鉄二俣線)です。そして青くマーキングしたルートが JR 東海道本線(在来線)です。つまり、掛川から新所原に移動したいのであれば、何も好きこのんで天浜線を選ぶ必要は全く無いことがお判り頂けるかと思います。

東海道本線から分岐して内陸部に入り、浜名湖の北岸を巡って再び東海道本線に合流しており、掛川 - 豊橋間の北回りバイパス線ともなっている。
(Wikipedia 日本語版「天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線」より引用)

どうでもいいことですが、「天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線」って文字を眺めているとゲシュタルト崩壊を起こしそうな気がするのは私だけでしょうか。

そのココロは「二段構え」

余談はさておき、何を好きこのんで遠回りのバイパス線を設置したのか、という話です。あっさりと見当がつく方もいらっしゃるかもしれませんが、やはりこんな理由からでした。

本来は、掛川から遠江二俣、三河大野を経て岐阜県東濃地方の大井(現在の恵那)に至る鉄道(改正鉄道敷設法別表第63号)として計画されたが、軍事上の要請から(浜名湖付近で海岸線を通る東海道本線が、敵軍の攻撃により不通になった際のバイパスとするため)、終点を新所原に変更して建設された。
(Wikipedia 日本語版「天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線」より引用)

はい。明治から昭和初期にかけては良くあった「軍事上の要請」というヤツです。地図で見るとより判りやすいかも知れません。


黄緑色で囲った部分が、ちょうど東海道の新居関のあたりになるのですが、たとえばこの辺りを大砲なり爆弾なりでドカン!とやれば、忽ち東西の交通が麻痺する、という「急所」だったわけです。そのため、万が一、浜名湖のあたりが通行不能になってしまったとしても、そこを通らずに済むような「迂回路」を用意した、というわけですね。

本来は……

ちなみに、上記引用部の「本来は──」という部分は俄に信じがたい計画が示されていたりします。直感と連想能力で(←)地図に落としたのがこちら。


黄緑色の部分は、国鉄明知線 → 明知鉄道として現存していますが、おそらく青くマーキングしたルートで鉄道を敷設することになったのかと思います。……どう考えてもペイしないような気が。

関所を避けるのは近代に始まったことではなく

さらに余談は続きますが、


この黄緑色でマーキングした部分、これは鉄道のルートではなく、「姫街道」と呼ばれる街道のルートです。

姫街道(ひめかいどう)は、東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ東海道の脇街道。浜名湖の北側、本坂峠を越える道で、本坂道本坂街道本坂通りとも言う。姫街道と呼ばれるようになったのは幕末からだが、名称の由来は、女性が多く利用したためとも、古いという意味の「ひね」の街道から変化したものともいわれる。さらに、前者の場合、東海道新居関所の厳しい取締まりを嫌ったからという説、東海道舞阪宿・新居宿間の今切の渡しの今切を不吉として避けたという説などがある。
(Wikipedia 日本語版「姫街道 (東海道)」より引用)

理由はともあれ、古くから東西交通の要衝だった「新居関」を避けるルートが、これまた古くから存在していたという事実はなかなか興味深いです。え、そんなこと考えるのは私だけですか? うーむ……。

前の記事次の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

最近の記事

    スポンサーリンク