2010年1月8日金曜日

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「54」の呪い

 


プライバシーを守ります(←

そんなわけで、静岡県は掛川と新所原を遠回りで結ぶ(←)天竜浜名湖鉄道に乗車したときの話です。まぁ、そんな大した内容は無いんですけどね。


原谷駅あたりで撮影した車内の様子です。運転手さん以外誰も写っていませんが、これは被写体のプライバシーに配慮しただけで、誰も乗っていなかったなんてことはありませんので念のため。ま、確かに、満員だったなんて可能性は無いわけですが。

有事の際には

んで、と。昨日の記事でも触れましたように、天竜浜名湖鉄道のベースとなった国鉄二俣線は、有事の際には東海道本線の代替ルートとしての活用も考慮されていた……筈でした。だから、JR 御殿場線なりの……とまではいかないにしても、それなりにしっかりした線路が続くのかなぁ、なんて想像もしていたわけなのですが、


見た感じ、とってもレトロな駅が続きます。駅間の線路もクネクネしてますし、勾配も意外と急ですし。これでは果たして D51 や D52 といった大型の蒸気機関車は走行できたのか、少々疑問に思えてきます。

あ、これは遠州森駅ですね。

「54」の呪い


こちらは少々進んだ先の上野部駅です。蒸気機関車の絵が描いてありますね……。「C54」でしょうか? あまり聞かない形式です。

誕生の背景と構造
1928年(昭和3年)で製造終了となったC51形の後継機であるC53形は、軸重が大きく幹線のみにしか投入できないため、亜幹線用としてC51形の近代化後継機として開発された。
(Wikipedia 日本語版「国鉄C54形蒸気機関車」より引用)

ふむふむ、なるほど。やはり C53 のような大型機が入線できない「亜幹線」向けに作られた「小型機」だったのですね。

しかし、この初回生産分の車両が各地に配置され就役すると空転多発の癖や牽引力の不足を露呈し、乗務員から不評が殺到する事態を招いた。その根本的な原因は、過度の軽量化と重量配分の計算不備で、このため本形式はこの17両のみで製造終了となった。
(Wikipedia 日本語版「国鉄C54形蒸気機関車」より引用)

なるほど……。わずか 17 両で終わったというのは、相当な失敗作(←)だったわけですね。:p

形式番号にまつわるジンクス
国鉄において“54”が「忌み数」だとされることがあるが、これはDD54形・ED54形など“54”のつく形式の車両が同時期に製造された他形式と比べ、成績が不調であったり保守の問題から早期に廃車される傾向があったからだとされる。このC54形もまたその例として取り上げられることがある。
(Wikipedia 日本語版「国鉄C54形蒸気機関車」より引用)

あははは……(笑)。ドイツ製で、見た目はとても格好良かった DD54 形ディーゼル機関車のところでも、このジンクスが触れられています。

ゴーヨン機関車のジンクス
国鉄に在籍した「54形」を名乗る車両は、この本形式の他にC54形蒸気機関車をはじめ、EF54形電気機関車、スイス製のED54形電気機関車など、少両数による使い辛さや、高度で緻密な機構を保守できないことによる不具合の多発で、短命に終わることが多く鬼門とまでいわれた。特にC54形が晩年を過ごした山陰地方にDD54形が投入されたことがジンクスをことさら強調することになったとも言える。
(Wikipedia 日本語版「国鉄DD54形ディーゼル機関車」より引用)

「500 系のぞみ」が、確かドイツ人のデザインなんですよね。だから「DD54」がダメだったのも、ドイツ風のデザインが日本の風土に合わなかったからだと思っていたんですが、まさか型式番号まで呪われていただなんて……。おそろしや、あなおそろしや。

あれ? 何の話をしてたんでしたっけ?

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