2010年1月20日水曜日

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今日からマ元帥!(←

 


Go West~♪

九段下のお堀端に銅像が未だに残されている大山巌についてのお話(つづき)です。

大山は非常に西洋文化への憧憬が強く、また造詣も深かった。捨松との再婚の時の披露宴招待状は全文がフランス語で書かれた物で人々を仰天させたという。陸軍大臣公邸を出たあとに建てた自邸はドイツの古城をモチーフとした物だった。
(Wikipedia 日本語版「大山巌」より引用)

あははは……(乾いた笑い)。まぁ「全文フランス語」や「ドイツの古城をモチーフ」の是非はさておき(さておかせてくださいな(笑))、なかなか「ハイカラ」な人だったようですね。三国干渉以降、あるいは満州事変以降の風潮にあっては「西洋かぶれ」と揶揄されたかもしれませんが、「脱亜入欧」とシャウトしていた時代にあっては、かなりの「知識人」と目されていたのではないかと思います。

また後藤象二郎、西園寺公望らと共に「ルイ・ヴィトンの日本人顧客となった最初の人」として、ヴィトンの顧客名簿に自筆のサインが残っている。
(Wikipedia 日本語版「大山巌」より引用)

……。うん、ブランド物もお好きだったのですね(笑)。ヴィトン恐るべし。

銅像はどこへ行った

さて、問題はこの銅像です。


二日続けて同じ写真ですが、気にしてはいけません(←)。

それはさておき(さておいた!)、日本が 1945 年に太平洋戦争に敗れた結果、「軍国ニッポン」は完膚なきまでに全否定された筈でした。教科書にもモザイク……じゃなくて墨消しが入れられたわけで、徹底的な思想改造が行われた……と聞きます。

しかし、こうやって武道館からお堀端のあたりを散歩してみただけで、今でも「北白川宮能久親王」や「大山巌」といった「帝国軍人」の銅像を見ることができます。教科書にモザイクを入れる(← 違う)といった徹底的なイデオロギーの糊塗が行われた一方で、「軍人さん」の銅像がそのまま残されていることに大いなる矛盾を感じたわけですが……。

今日からマ元帥!(←

この矛盾?への回答として、こんな説が Wikipedia に紹介されていました。

第二次世界大戦後、GHQの指令で軍人の銅像が軍国主義の象徴として次々と鋳潰されるなか、軍装で馬にまたがったりりしい姿の大山像は破却を免れた。そこには連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの差し金があったことはあまり知られていない。マッカーサーにとって大山巌はナポレオンとならぶ英雄で、かねてよりその肖像画を自宅の書斎に飾るほど崇拝していたという。
(Wikipedia 日本語版「大山巌」より引用)

「また『マ元帥』かよ」とお思いのあなた、そう、その通りです。かの「まるマシリーズ」でおなじみの(違う)「マ元帥」です。

まぁ、Wikipedia には典拠が記載されていないので裏を取りようが無いのですが、十分に蓋然性の高い仮説ではあります。さらに穿った見方をすれば、大山巌は大国ロシアを破った功労者ではありますが、アメリカに対しては何ら害を及ぼしていない……というところもあり、「日本はロシアには勝った(でもアメリカには負けた)」という事実をさりげなく誇示する意図もあったのかな、などとも。既に領土への野心丸出しのスターリンを警戒していたでしょうし。

九段坂公園の銅像ひとつ取ってみても、色々と考えさせられるものです。え、そんなの私だけ?

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