2010年2月11日木曜日

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「の」があるか、あるいは無いか。それが問題だ

 


「紀元節」も遠くなりにけり

そういや、今日は建国記念 *の* 日ですね。年配の方には「紀元節」と言った方が通りがいい……という時代はもはや過去のものでしょうけど。2670 年ほど前のこの日に神武天皇が即位したとかで、それが「祝日」の根拠になっていたと聞いています(誰から?

神武天皇の即位年は、『日本書紀』の歴代天皇在位年数を元に逆算すると西暦紀元前660年に相当し、即位月は「春正月」であることから立春の前後であり、即位日の干支は「庚辰」である。そこで西暦紀元前660年の立春に最も近い「庚辰」の日を探すと、西暦では2月11日と特定される。その前後では前年12月20日と同年4月19日も庚辰の日であるが、これらは「春正月」になり得ない。したがって「辛酉年春正月庚辰」は紀元前660年2月11日以外には考えられない。
(Wikipedia 日本語版「神武天皇」より引用)

てな感じで、もともとはファンタジーであるとも疑われる「日本書紀」の記述を、かなり科学的に解釈して導き出された日付のようです。

偶然の一致か、それとも綿密な計算か

ついでに

なお、『日本書紀』は「庚辰」が「朔」、すなわち新月の日であったとも記載しているが、朔は暦法に依存しており「簡法」では計算できないので、明治政府による計算では考慮されなかったと考えられる。当時の月齢を天文知識に基づいて計算すると、この日は天文上の朔に当たる。
(Wikipedia 日本語版「神武天皇」より引用)

という話もあるそうで。これを「偶然の一致にしては凄いねぇ」と取るか、あるいは「そこまで計算してたんだ凄いねぇ」と取るかという話になりますが、よーく考えたら旧暦のベースは太陰暦の筈なので、当たり前のような……。

太陰暦においては「十五夜」が満月になりますから、つまり、一日(朔日)は必ず新月になるというわけで。というわけで、「当時の月齢を天文知識に基づいて計算する」までもないような気がするのですが……(解説求む)。

社会党も遠くなりにけり(←

さて、日本書紀に由来する神国ニッポンの「誕生」を祝う「紀元節」は、意外なことに太平洋戦争敗戦後も二年間ほど生き残り、1948 年に廃止されたそうで。しかしながら、今日こうやって復活しているわけで……。

紀元節復活に向けた動きは、1951年(昭和26年)頃から見られ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出された。しかし、当時野党第一党の日本社会党が「建国記念日」の制定を「神武天皇即位の年月は、歴史上、科学的に根拠が薄弱であり、今後学問的検討を待って決定すべきではないか」「過去において、神武東征の物語りが、征略国家として支那事変、大東亜戦争において利用され、偏狭なる忠君愛国の教育とも相待って、日本の進路を誤まらせたものではないか」と批判して反対し、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となった。
(Wikipedia 日本語版「建国記念の日」より引用)

今では「国民新党」と肩を並べる泡沫政党に成り下がった日本社会党ですが、こうやって「野党第一党」だった時代もあったんですよねぇ。さらに言えば、その少し前には政権まで取っていましたが、なぜか程なく政権が瓦解したという、どこかで繰り返されたような構図の原型が見て取れます。やっぱ CIA の陰謀でしょうか。これも、あれも、それも……(←

「の」があるか、あるいは無いか。それが問題だ



その後、「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返すも、成立には至らなかった。結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。
(Wikipedia 日本語版「建国記念の日」より引用)

いやー、そう、この「の」の字を入れるというアイデアが日本人的で素晴らしいと思うんですよ。これによって、「建国」の「記念日」ではない、という遁辞が通用するようになるのですね。あくまで「建国」という過去の行為を「記念する日」なんですよーという解釈になるわけですが、「の」の字ひとつで解釈を膨らませることのできる日本語って、なんとも素晴らしいものですね(笑)。

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