2010年2月27日土曜日

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モスクの尖塔は公共の利益を著しく損なうか?

 


まずは、こちらの「カダフィ大佐、スイスへの聖戦呼びかける モスク尖塔建設禁止で」という記事をご覧ください。

カーネル・カダフィ、大いに吠える

リビアのカダフィ大佐が「スイスへのジハードを呼びかけた」そうですが、これはなかなか興味を惹かれる話題ですね。どんな話かと言えば見ての通りで、スイスで「モスクの尖塔の建設を禁止する」という法案が国民投票で可決されたことにカダフィ大佐が憤っている、ということになろうかと思います。

まず、大前提として、無辜の人の生命が危険に曝されるような行為は、たとえどんな背景があったとしても許されるべきではありません。その点、カダフィは以前にもパンナム機爆破事件などにも関与しているわけで、そういった意味では口を慎むべき立場ではあります(もっとも、カダフィはそんなキャラではあり得ませんが)。

尖塔の建設禁止は「信教の自由」を損なわないのか

しかしながら、改めて考えてみると、たとえ国民投票の結果だとは言え、「特定の宗教施設の建設を禁止する」ということを「法律」にしてしまったという事実にもすっきりしないものを感じます。これは、下手をすれば「信教の自由」や「市民活動の自由」を損なうものになるのではないか、ということです。

日本において建設が認められない建造物の例

では、日本において建設が認められない建造物は存在するのか、またそれが存在するとしたら何か、という話になりますが、例えば学校の周辺 2 km(でしたっけ?)にはパチンコ屋やラブホテルなどを建設できない、というルール?があったと(ぼんやりと)記憶しています。

ほかにも、自然保護の観点から開発そのものが厳しく制限されている区画も少なからず存在しますが、これは「開発の是非」そのものを制限する考え方で、論点がズレてしまうので、本稿では触れないようにします。

ほかにも、日照権を侵害する建造物や、既存の景観を損なう建造物などは、建設が認められないケースもあるかと思います。京都市内の中心部では、かの「京都ホテル」問題など、建造物の高さ制限がずっと話題になってきました。つまり、「公共の利益を著しく損なう」場合は、建設が認められないケースもある、と考えれば良いのかと思います。

モスクの尖塔は公共の利益を著しく損なうか?

では、スイスにおけるモスク建設が、「公共の利益を著しく損なう」のか否か、という視点で考えると、問題の本質が見えてくるような気が……するようなしないような(←

結局の所、「異質なるものへの畏怖」が根幹にあるような気がするんですよね。それが差別を生み、結果として被差別側を団結させることになってしまいます。「虐げられたものの集まり」の中から得てして過激な思想を持つものが生まれ、「復讐」と称して「社会に対する反撃」を行う……というわけです。

こうして「異質なるもの」は「公共の利益を著しく損なう存在」と看做され、さらなる抑圧へ繋がる……という負のスパイラルが完成します。この「負のスパイラル」を安定化させる方策は無いものでしょうか。いや、アイデアはあるんですけどね……。

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