2010年4月24日土曜日

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阿弖流為さんの話

 


なぜか 3 巻だけ

相変わらず、最近はこんな本ばかり読んでいます。


「山田秀三著作集」は第 1 巻から第 4 巻まであるそうなのですが、手元にあるのは第 3 巻だけです。3 巻しか持っていない理由は……単に 3 巻だけ Amazon.co.jp に在庫があった、というだけの話だったりするのですが(←

実は二代目

さて、思いっきり話が飛びますが、平安初期に「蝦夷征伐」で活躍した坂上田村麻呂という人物がいました。坂の上の……じゃなくて坂上田村麻呂は史上初の征夷大将軍だ……と思われたりしますが、実際には二代目なのだそうです(初代は「大伴弟麻呂」とのこと……誰ソレ?)。

最近の阿弖流為さん

坂上田村麻呂が対決した蝦夷のリーダーとして高名なのが「アテルイ」です。「阿弖流為」という字を当てるのに個人的には親しみを持っていますが、そもそもが当て字なのでいろいろなバリエーションがあるようですね。

さて、このアテルイさんがどんな人物だったかと言いますと、

この項目では、平安時代の人物について記述しています。東日本旅客鉄道が水沢駅~盛岡駅間で運行している快速列車「アテルイ」については「東北本線」をご覧ください。
(Wikipedia 日本語版「アテルイ」より引用)

……って、ちょっと(笑)。いやー、JR 東日本もすんごい名前の快速列車を走らせているものですね。JR 九州の「特急かいおう」と勝負できそうな気がします(どんな勝負なんだか)。

本来の阿弖流為さん

では、気を取り直して。

アテルイ(生年不詳 - 延暦21年8月13日(802年9月17日))は、平安時代初期の蝦夷の軍事指導者である。789年に日高見国胆沢(現在の岩手県奥州市)に侵攻した朝廷軍を撃退したが、坂上田村麻呂に敗れて降伏し、処刑された。
(Wikipedia 日本語版「アテルイ」より引用)

「岩手県奥州市」と言われると逆に良くわからないのですが(市町村合併の弊害)、「胆沢」は岩手県西南部の「旧・胆沢町」のことです。ちなみに「いさわ」と読むそうです(「いざわ」だと思ってました。すいません)。

史料には「阿弖流爲」「阿弖利爲」とあり、それぞれ「あてるい」「あてりい」と読まれる。いずれが正しいか不明だが、現代には通常アテルイと呼ばれる。
(Wikipedia 日本語版「アテルイ」より引用)

さすが蝦夷の総大将、いかにも「いかつい」当て字が威圧感を漂わせています(でも「卑字」は少ないかも?)。

「蘇我蝦夷」なんて人もいましたが

さて、今更言うまでもない結論ですが、平安時代初期には、岩手県のあたりは「蝦夷」の勢力圏であり、「大和朝廷」の権力は及ばなかった、ということになります。

蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、日本列島の東方、北方に住み、畿内の大和朝廷によって異族視されていた人々に対する呼称である。時代によりその範囲が変化している。
(Wikipedia 日本語版「蝦夷」より引用)

はい、この定義は問題ないですね。ポイントとしては、「蝦夷」が固有名詞か一般名詞か、というところになるのですが……そろそろ時間でしょうか?(←) 本日はこれまでということで(謝)。

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