2010年6月15日火曜日

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「ドイツ人のバカ笑い」ふたたび

 


「準備は着々と進んでいます」

もうちょいと「ドイツ人のバカ笑い ──ジョークでたどる現代史」(ISBN4-08-720247-X)から選りすぐりの(?)ネタをご紹介です。

 東ベルリン在住のエルゼ・メラーが、ケルン在住の叔母ハンニに手紙を書いた。
「ハンニおばさん、準備は着々と進んでいます。去年と同じように、手榴弾三個、爆薬一キロ、導火線数本を送ってください。わたしたちは用意万端ととのえています。どうかよろしく。エルゼより」
 春が来て、ふたたび叔母ハンニのところに手紙が舞い込んだ。
「おばさん、準備の第一段階はぶじ完了しました。国家公安局が庭じゅう掘り返してくれたのです。もういつでも送ってくださってかまいません、チューリップの球根を……」
(D・トーマほか 編「ドイツ人のバカ笑い」集英社 p.91 より)

タダで国家公安局が庭を耕してくれるとは、さすがは社会主義国家・東ドイツです(笑)。でも、こうやって見てみると、少なくとも東ドイツでは、まだ法の理念が通用していたようにも思えますね。スターリン時代のロシアなら、裁判無しで銃殺刑かシベリアのラーゲリ送りですね、これだと。

二重帝国も今は昔

さて、またしてもサッカーネタ?を行きましょうか。

 ハプスブルク家の末裔オットー・ハプスブルクは、オーストリアを追放されてから西ドイツで政治活動をしていたが、一九七九年、CSU〔キリスト教社会同盟〕代表としてヨーロッパ議会の議員に選ばれた。

 オットー・ハプスブルクは議会のロビーで記者と雑談中、こう訊かれたそうだ──「先生も晩にはサッカーをごらんになりますか」
「どこが試合をやるの」とハプスブルクが訊きかえした。
「オーストリア─ハンガリーです」
「で、〔二重帝国の〕相手はどこ?」
(D・トーマほか 編「ドイツ人のバカ笑い」集英社 p.97 より)

オットー・フォン・ハプスブルク氏は 1912 年生まれと言いますから、今は御年 97 歳です。ちなみにフルネームは Franz Josef Otto Robert Maria Anton Karl Max Heinrich Sixtus Xavier Felix René Ludwig Gaetano Pius Ignazius von Habsburg-Lothringen なのだそうです(笑)。Hubertus von Hohenlohe もびっくりですね。あ、「オーストリア─ハンガリーです」の落ちは、もちろんこちらです。

オットー・フォン・ハプスブルク(Otto von Habsburg, 1912年11月20日 - )は、オーストリア=ハンガリー帝国(1918年に帝政廃止)の皇太子で、政治家。
(Wikipedia 日本語版「オットー・フォン・ハプスブルク」より引用)

(Wikimedia Commons より借用。この写真の作者である NVP 社は、この写真を以下のライセンスで提供しています。:
フリーソフトウェア財団が発行した GNU Free Documentation License に示されるバージョン1.2またはそれ以降のライセンス

こちらは、2004 年に撮影されたものと言いますから、91 歳の時の写真ですね。

残りの半分は……?

雇用の創出はいつの時代も重要課題だったりしますが……。

 きめこまやかなサービスをめざすため、と称して公務員の数がふやされていった。

 行政官庁のトップに質問が寄せられた。「あなたのところでは何人くらい職員が働いてますか?」
 答えていわく、「働いてるのは半分そこそこですよ!」
(D・トーマほか 編「ドイツ人のバカ笑い」集英社 p.97-98 より)

半分はヤミ専従、ということでしょうか(笑)。

ドイツの象徴、ヴァルター・ウルプリヒト

トリを飾るのは、みんなの人気者、東ドイツのヴァルター・ウルプリヒト議長(当時)です。

 ウルブリヒト議長と毛沢東主席が内政問題を語り合っていた。
「中華人民共和国内に政治上の反対派はどれくらいいますか」とウルブリヒトが尋ねた。
「千七百万人くらいでしょう」と毛沢東が答えた。
「ほほう、ならわが国と同じくらいだ」〔東ドイツの当時の全人口は約千七百万人〕
(D・トーマほか 編「ドイツ人のバカ笑い」集英社 p.108 より)

さすがは言うことが違います。やっぱアネクドートはいいですねぃ(笑)。

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