2010年7月24日土曜日

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「ニシパコシキルシ」と「近藤が淵」

 

「えりも町『目黒』の謎」の続報

一昨日の記事にて

で、肝心の「目黒」の由来ですが……すいません、良くわかりませんでした。Wikipedia によると 1942 年に「猿留」から「目黒」に改称されたとあるのですが、理由や由来は記されていません。困りましたね……役場の人にでも聞いてみましょうか?(←
(Bojan International「北海道のアイヌ語地名(その5)」 2010/07/22 より引用)
と書いたのですが、役場の人に聞く前に(←)もう少しだけ調べてみました。どうやら「猿留」には「目黒さん」という有力者がいらしたらしく、いつしか「猿留」は「目黒」と呼ばれるようになり、1942 年に正式に地名となった、ということのように思われます。

北海道の地名(← そのまんま

北海道の地名は、9 割方がアイヌ語の地名をそのまま漢字にしたもの……のような気がする[要出典]のですが、中には今回のように「人名」をそのまま地名として拝借したものとか、「北広島」や「新十津川」のように入植者の出身地にひとひねり加えたもの、「岐阜」や「鳥取」のようにそのまんまのもの、などがあります。

「ニシパ コシキル ウシ」

アイヌ語の地名は、地形や特色(魚が捕れる、木が生えている、など)を具体的に伝えているものが多いのですが、中には変わった例もあります。永田方正氏の「北海道蝦夷語地名解」で「ニシパ コシキル ウシ」として紹介されている地名があるのですが、曰く、「アイヌ仰向キニ倒レテ雪ノ爲メニ死シタル處」なのだとか。

一方、この解釈に対して、知里真志保さんは「アイヌ語入門 ─とくに地名研究者のために─」(「わりと感じのいい,たのしい本である!」として有名です)において、この「にㇱパコシキルシ」は nispa-ko-sikiru-usi であるとして、「だんな・が・そこで・ひっくりかえった・所」との解釈を披露しています。

原文を要約してしまうと「味わい」が薄れてしまうので、少し引用してみます。

永田方正氏の解釈では,nispaを「アイヌ」と訳しているが,ただのアイヌをニㇱパなどと呼ぶはずがない。これはおそらく,幕府の役人などが,土地のアイヌどもを人夫にかりだして,威風堂々とここを通りかかったまではよかったのだが,そこのぬかるみに足をとられて引っくりかえった,などというような故事でもあって名づけられたものであろう。アイヌが引っくりかえったところで,起きあがればそれですむことで,たいして問題になることでもない。しかし,日本の役人が引っくりかえったとなると,当時としては大変な事件で,後世に地名を残すだけの値打があったと見なければなるまい。
(知里真志保「アイヌ語入門(復刻版)」北海道出版企画センター p.19 より引用)
ちなみに、この「ニㇱパコシキルシ」は、釧路から斜里に抜けるための「斜里山道」の途中の地名なのだそうです。「だんながひっくりかえった所」が地名として残るというのも、実におかしなものです。

「近藤が淵」

ところが、「歴史は繰り返す」とは良く言ったもので、今度は斜里の東隣の「羅臼町」に「近藤が淵」という地名が新たに誕生する(した)という話があります。これは「目黒」と同じく人名に由来する地名ですが、近藤さんは地元の有力者……というわけではなく、なんと「近藤さんが足を滑らせて海に落ちた所」が由来なのだとか。

この「近藤さん」は、夏休みの知床探検ツアーで小中学生を引率している際に、足を滑らせて海に転落してしまったのだそうです(命に別状は無かったとのこと)。たまたまそのあたりの土地を指す地名が存在しなかったそうで、仲間内で「近藤が淵」と称していたところ、それが地図に採録されることになった……のだとか。あの世で「ニㇱパコシキルシ」でひっくりかえった「ニㇱパ」も笑っているかもしれませんね。

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